2月9日、神戸市主催のグリーフケア講座を受講しました。知らなかったのですが、神戸市では去年・一昨年(それ以前は不明)連続講座の形でグリーフケアを学ぶ講座が開かれており、今年は単発の講座として開催されたそうです。
この日は1時間の講座を2本続けて聞くというもので、最初は関西学院大学人間福祉学部人間科学科教授 坂口幸弘先生の
『グリーフケアって何だろう? ~基本的な考え方~』
グリーフケアという言葉は社会に浸透してきましたが、では一体グリーフケアってどんなもの?と言うとよく分からない・・・。死別と悲嘆の定義から始まり、なぜグリーフケアが必要なのか、誰がケアを行うのか、誰に対して行うのか、何をすればいいのか、グリーフケアの目標はどこにあるのか・・・具体例を交えてわかりやすくお話していただきました。
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死別とは「死によって大切な人を亡くすという経験をした個人の客観的な状況」であり、悲嘆とは「喪失に対する様々な心理的・身体的症状を含む情動的反応、情動的な症候群ともいう」。
死別という言葉は、自分にとって
大切な人・強いつながりがあった人が亡くなった時にだけ使われるものです。だから、グリーフケアの対象者は
死別を経験した人にまず限られます(そのすべての人ではありません)。
悲嘆は「悲しむ嘆く」という言葉から心の面だけととらえがちですが、そうではなく、悲しみや不安や自責や怒りや思慕などの
感情的反応、動揺や過活動や泣くことや探索行動や引きこもるなどの
行動的反応、故人を想うことへの没頭や無力感や絶望感などの
認知的反応、食欲不振や睡眠障害や身体愁訴などの
生理的・身体的反応という多彩な悲嘆反応が見られます。
これは死別に対する正常な反応(誰しも経験するもの)であって、病気ではありません。その反応には個人差があり、どの反応が出るか、その強さは一人一人違い、変化もあります。
このように悲嘆反応は病気ではないけれども、悲嘆を経験する人はうつ病のリスクが高まり、死亡率が高まり、自殺リスクが高まり、悲嘆の症状が1年を超えても日常生活に支障が出る強いレベルで続く複雑性悲嘆のリスクがあるという研究結果があります。
グリーフケアは、これらのリスクを小さくするために、そして、残された人が生活や人生を取り戻すために必要なのです。
二重過程モデル(Stroebe&Schut1999)によると、遺族の日常生活全体の中に「喪失志向型対処」と「回復志向型対処」の2つの部分があり、悲嘆はその二つの部分を行き来しながら進むとされています。
喪失志向型対処は心のケアという言葉でとらえられる面で、死を自分なりにどう受け止めるのかや死の意味をとらえ直すなど、死別や亡くなった人に向き合う対処を言います。回復志向型対処は残された人が生活や人生に向き合い、食事を作ることや法律的手続きをするなど、具体的で問題解決的な対処の部分です。死別を体験した人は、そのどちらにも同時並行で向き合っていきます。ある時は喪失志向型対処の方に振れ、ある時は回復志向型対処の方に振れ、揺らぎながら悲嘆を進んでいくのです。
グリーフケアはその両面を考えなければなりません。
グリーフケアという言葉からは何か専門的な介入を連想しがちですが、遺族同士、家族・親族・友人知人、医療関係者・福祉関係者・宗教家・葬儀業者・学校関係者・司法書士など遺族に接する人々、カウンセラーや精神科医などの専門家、公的機関、その他(傾聴ボランティアなど)遺族の周囲の様々な人がグリーフケアの担い手になり得ます。
グリーフケアを必要とするのはすべての遺族という訳ではありません。遺族の約60%は第三者の特別な介入を必要としません。約30%の人はピアサポートなどの助けを必要とし、約10%の人は専門家のサポートを必要とします。
ではグリーフケアとはいったい何をすればいいのでしょう。
一番大切な出発点は「遺族のことを思いやる気持ち」です。気にかけてくれる人がいるというだけで支えになるのです。
1.相手の思いを尊重する(自分の価値観を押し付けない)
2.そばにいること
3.じっくりと耳を傾ける(同じ話の繰り返しを遮らない)
4.長い目で見守る(悲嘆の過程はとても長いものです)
5.生活面での手助けをする(子供を預かる・食事を差し入れるなど)
6.身体的な健康にも気を配る
6.状態に応じて専門家の受診をすすめる(自殺のリスクがあれば必ず)
☆ 故人の思い出を分かち合う
生物学的な死と社会的な死とはイコールではなく、故人の思い出や存在を分かち合うことによって、社会的存在として故人が生きていることを実感できます。忘れずに気にかけてくれていることや故人の存在を遺族と共有することは遺族にとってとてもうれしく感じられます。
グリーフケアの目標はどこにあるのでしょうか。
亡くなった人が戻ってくることはもうないのですから、完全な回復というのはありません。悲しみを癒しきることはできないのです。立ち直りや回復ではなく、故人のもういない世界の中でどのように生き延びていくのか、死別後の世界へどう適応するのかがグリーフケアの目標になります。
阪神・淡路大震災の遺族に対するアンケート調査の結果、震災後20年近く経った時点でも、亡き家族への思いが続いていることや、自分が助かり家族が亡くなったことへの後ろめたさを今も感じていることが分かりました。
家族の死をどう受け止めているかという質問には、納得できている、納得できていないが納得しようと努めていない(考えないようにしている)、納得できておらず今も納得しようと努めている(意味を探し求めている) と回答が分かれています。これはどれが良くどれが悪いというのではなく、どれでも構わないのです。意味は見つからないこともあり、納得できないこともあります。それとどう折り合いをつけて生きていくかという事なのです。
「人生を物語にたとえるとしたら、そして私たちが行動、意思決定、言葉によって物語を執筆していると仮定すれば、喪失はその流れを中断するものです。
喪失前と後では、決定的な話の矛盾が起きてくる恐れがあります。
ある章の途中で中心人物を失った小説のように、死別による喪失で崩壊した人生の物語をわかりやすく続行させるために、著者は筋書きに大幅な変更を想定せざるを得ないのです。
Neimeyer」
死という出来事自体に対しては受け身でも、どう受け止めていくのか、どう対処するのかには選択肢があります。その人自身がどのような物語を書き継いでいくのか、時間はかかりますが支えるしかないのです。どんな人にも物語を書く力があり、時間をかけてその力を取り戻すことができるのです。グリーフケアとは、その道行に寄り添うものなのです。