2020年2月29日土曜日

ともやさん78歳。フォークソングを唄う。



 姫路労音の高石ともやコンサート~陽気に行こう~に行きました。
 
 私は中学生の頃からのともやさんファンです。当時ともやさんはザ・ナターシャセブンを結成して活動しておられて、107ソングブックシリーズ11枚組のLPを発表、野外音楽フェス『いこまいか。椛の湖ピクニック』、京都の『宵々山コンサート』に出演など活躍されていて、思い出しても懐かしいです。

 下町の中学生にはLPを買うお小遣いもなく、もし買えてもプレイヤーがなくて聴けませんでした。当時誰もがしていたのが「エアチェック」なるもので、音楽番組をカセットテープで録音して楽しむ手段です。私も父のオーディオセットを借りて、FMで流れるナターシャの特集番組やコンサートライブ放送を録音していました。

 その録音テープを、毎晩布団に入ってから、英語学習用にと買ってもらった小さなラジカセで音を絞って聴くのが楽しみでした。今もその当時のカセットテープを持っていますが、カセットデッキがなくて(CDラジカセがあることはあるのですが、カセットデッキ部分が壊れていて)聴くことはできません。


 日本のフォークソングの先駆者・高石ともやさんですが、御年78歳とのこと。いえ、まだまだお元気でのびやかな声も健在です。ギターのテクニックだって、「以前はジャカジャカしか弾けなくて…最近メロディーを弾けるようになりました」と披露されました。

 コンサートは日本のフォークソングの黎明期、大学をリタイアしてスキー場でバイトをしていた時に出会った『思い出の赤いヤッケ』に始まり、ヒットを飛ばして一躍フォーク界のスターになったものの、レコード会社のプロモーションになじめず、渡米。そこでアメリカのフォークソングに出会った若い頃の話。

 谷川俊太郎さん・武満徹さんとの出会いから生まれた『死んだ男の残したものは』。マラソンやトライアスロンに挑戦する中で生まれた『孤独のマラソンランナー』(北山修作詞)、『長い道』。灰谷健次郎さんのこと。阪神・淡路大震災に遭った女性の言葉から生まれた『何とか元気をやっています』。姫路出身の桂米朝師匠のお気に入りだった『春を待つ少女』。永六輔さん、高田渡さんのこと。加藤和彦さんと北山修さんの『あの素晴らしい愛をもう一度』。笠木透さんが作ったフィールドフォークの名曲『山と川』『川のほとり』。

 ともやさんのコンサートは、歌が人生を語るような、歌をつなぐと時代が浮かび上がるような気がします。それは過去のものではなく、色あせることのないほんとうの光のようです。

2020年2月23日日曜日

お雛様の謎


 昨日、神戸で受診の後、次男と一緒に宝塚の実家へ行ってきました。

 結婚で家を出る時に、段ボール2~3箱の荷物を実家に置いて来ており、それを片付けるためです。二階の押し入れの床下(屋根裏)に放り込んだ箱を、次男に引っ張り出してもらいました。

 小学校の時の親友に描いてもらったお姫様の絵が一番懐かしい掘り出し物です。中学生頃の日記など、これ一体どうしましょう。とにかくそれらは自宅宛てに宅配便で送る手配をしました。

 父はこの前は三田市のめんたいパークに自転車で行ってきたとのこと。20キロ以上あるのですが、全く元気すぎて呆れます。

 父が子どもの頃一緒に暮らしていたHのおばあちゃんのことも教えてもらいました。叔母の話では今我が家にあるお雛様はHのおばあちゃんのものだったというのですが、父は祖母の実家の日和佐(徳島県)から来たものだと言います。

 群馬県出身で結婚せず女中としてあちこちの家で働いてきたHのおばあちゃん(明治11年生まれ)が、明治34年ごろ京阪神で作られたお雛様を持っていたというのはちょっとつながらないような気もします。

 祖母は明治43年に日和佐で生まれ、祖父と結婚して大阪に来ました。父の下に叔母が生まれた時に、日和佐の実家のお雛様を譲られたのでしょうか。もともとは祖母の姉か従姉かのお雛様だったのかもしれません。

 これまで何軒もの家を渡って、何人もの手によって飾られてきたお雛様。来歴は謎のままですが、これからも長く大事にしていきたいです。

2020年2月17日月曜日

総合病院はシステマチック

 先月のMRI検査の結果、膵管の狭窄が気になるとかかりつけの内科の先生から総合病院に紹介になりました。今日はその受診の日。

 自宅から病院まで、JRを使ってもバスでも1時間足らずです。バスならほとんどドアtoドア。でも運賃は倍以上なので、JRで行くことにしました。

 とにかく混むので早く行くようにと誰もが口をそろえてアドバイスしてくれました。仕方なく5時起きで頑張って行ってきました。

 初診の受付から内科の受付へ。血圧と体温を測り、問診票を書く。薬剤師さんの問診もある。一応かかりつけ内科から予約をしているので、待つこと1時間ほどで診察に入りました。

 MRI画像を見ながら、これだけでは判断ができないので超音波内視鏡検査を受けて下さいと言われ、予約しました。「これを見るとそんなに急がなくていい」とおっしゃるので、まぁ念のために検査しましょうって感じでしょうか。

 今日はそのあと血液検査の検体を採取して、その後内視鏡検査の説明を受けて終わりです。広い院内をあっちに行ったりこっちに行ったり。最後の会計は自動支払機で清算でき、待ち時間ゼロ。クレジットカードやキャッシュカードも使えました。

 「一日がかりやで」と散々脅かされたのですが、案外スムーズに終わり、午前中に帰宅できました。こんなに早く済むとわかっていれば午後から出勤できたのですが、一日有休を出しているので、午後はちょっとゆっくり過ごしました。

 3月に超音波内視鏡検査を受けますが、胃カメラなども全く経験がないのでかなり怖いです。その日は検査だけで、結果は後日とのこと。頻繁に休みを取らないといけなくて憂鬱です。

2020年2月16日日曜日

安克昌先生、中村哲先生


 NHKのドラマ『心の傷を癒すということ』。阪神・淡路大震災から25年という節目に、震災当時若き精神科医として被災者の心のケアに手探りで取り組んだ安克昌先生の物語。

 20年近く前に文庫本で安先生の『心の傷を癒すということ』を読んだとき、うつ病で苦しい時期でしたが、支えられるような気がし、安先生を身近に感じました。その時すでに安先生はこの世を去っていらっしゃったのです。

 その後も、喪失を体験したときや東日本大震災が起きた時などに何度も読み返しました。東日本大震災が起きた時、この本はすでに手に入らなくなっていましたが、心のケアに携わる何人もの方々が出版社に復刊を呼び掛け、増補版『心の傷を癒すということ』が出版されました。そして今回テレビドラマになるにあたって、再び作品社より新増補版『心の傷を癒すということ』が出版されています。

 その本でしか知らない安先生に、ドラマで会えました。

 どのシーンも本当に素晴らしいドラマでしたが、特にラストの去年のルミナリエの場面は温かく優しく心に沁みました。亡くなった人はきっといつまでも身近な大切な人を見守り続けている。そしてまた、遺された人の決して平坦ではなかったであろう歳月もまた、亡き人のまなざしに癒されるのではないかという気がします。

 柄本佑さんの安先生は本当に安先生でした。


 また、去年12月4日にお亡くなりになった中村哲先生。

 その後手に入らなくなっていた著書が再版され、手元に置いて読むことができるようになりました。片っ端から注文して取り寄せました。いずれもこれまでに図書館で借りて読んだ本ですが、改めて中村先生に出会う気持ちで読んでいます。

2020年2月15日土曜日

玄米茶のもと


 年末にイオンで見つけた『玄米茶のもと』。香ばしく炒った玄米だけの商品です。

 いつものお気に入りのかぶせ茶に混ぜて玄米茶にするととても美味しい。

 よくある玄米茶はお茶自体はあまり上等じゃないのが普通ですので、好みのお茶に混ぜるこの玄米茶のもとは優れものです。

 玄米茶好きの人はぜひお試しあれ。

2020年2月11日火曜日

紅梅が咲いていました







 今日は久しぶりに快晴の休日でした。気温は上がらず風も冷たいけれど、日差しの明るさ暖かさに誘われて散歩に出かけました。

 紅梅が咲いていい匂いです。

 桜の頃と違って人もまばらでした。



 庭の福寿草も咲き始めました。

 午前中に農協の直売所で野菜をたくさん買い、下拵えして冷蔵庫へ。こうしておくと夕食の支度がうんと楽です。

 大根、里芋、ブロッコリー、菜の花、シロナ、ホウレンソウ、小松菜。千円でおつりが来ました。

 新鮮な葉物野菜を買いに行けない時は、豚汁や粕汁など具沢山の汁物を鍋一杯作っておきます。料理上手でもないし料理好きでもないので、毎日一から献立を考えるのはしんどいです。一品でも出来ていると案外すらすらと後が決まります。

 食べることは毎日のこと。あんまり得意ではなくても、がんばっています。

2020年2月9日日曜日

おひなさま、実は…


 立春が過ぎてからこの冬一番の寒気がやって来て、とても寒い日が続いています。
 
 でも、毎年立春を過ぎたらおひなさまを飾ります。今年も次男と一緒に飾りました。去年修理をしてもらって生まれ変わった源氏枠飾りの雛飾りも。

 この雛飾り、去年12月の餅つきの時に会った叔母に由来を聞いてみました。そしたらそれは、「Hのおばあちゃんのもの」とのこと。Hのおばあちゃんとは、私の父方の祖父が学生時代にお世話になった人で、どういういきさつかは知りませんが父が幼いころ一緒に暮らしていたそうです。

 明治34年に大阪で発行されていた新聞が屏風の裏張りに使われていることから、その頃の品だと思うのですが、群馬県の出身というHのおばあちゃんと大阪方面で作られたおひなさま。ますます謎が深まるばかり。

 今度父に、Hのおばあちゃんについて知っている話を教えてもらいたいなと思います。

 そういう来歴のおひなさまが今我が家にあるという不思議。縁があったということでしょうね。

2020年2月2日日曜日

『男はつらいよ お帰り寅さん』


 念願の、映画『男はつらいよ お帰り寅さん』を見てきました。
 『男はつらいよ』シリーズ誕生から50年目にして、22年ぶりの新作、シリーズ50作目の作品です。

 この22年の間に、おいちゃんとおばちゃんは亡くなり、草団子屋だったくるまやはカフェに。一番変わったのは寅さんの妹・さくらと博夫婦の息子の満男で、サラリーマンを辞めて作家デビューし、結婚して高校生の娘がいて、6年前に妻を亡くして一人でその子を育てています。

 さくらたちは「お兄ちゃんがいつ帰って来てもいいように」と2階の部屋をいつも掃除しています。その部屋は、かつて寅さんが旅先で知り合って恋をしたマドンナたちが、くるまや(とらや)を訪ねて来て、泊まった部屋でもあります。

 さくらや満男たちは長い間帰って来ていない寅さんとの思い出を大事にし、折に触れ語り合って懐かしんでいます。寅さんはいつも家族の中にいて、今も長い旅の途中なのです。

 
 懐かしくてあたたかくて面白くて、胸がいっぱいになって涙が出る、素敵な映画でした。