2017年3月27日月曜日

庭で見つけた!


 昨日庭の掃除をしていたら、フキノトウが出ていました。

 田舎に住んでいた時、名残の雪が残る田んぼの斜面などでフキノトウが顔を出しているのを見ました。そういうイメージだったので、町屋の庭で見るとは意外で、びっくりした次第。

2017年3月26日日曜日

春のパン 届きました♪


 アミーちゃんは上の妹の古い友人です。
 阪神・淡路大震災で西宮市の妹のアパートが倒壊した時、妹家族は海外にいて無事だったのですが、いち早く駆けつけて家財道具を掘り出してくれました。

 その後アミーちゃんはパン屋になりました。
 原材料にこだわったみっしりどっしりとしたパンを焼いています。

 春は、よもぎのパンです。うつで倒れていた春、滋味あふれるよもぎあんパンを食べてとても力づけられたことを思い出します。

 休日のお昼に、今年もよもぎあんパンいただきました。

 『アミーンズオーヴン』春のパン受付中です。

2017年3月25日土曜日

神戸市主催 グリーフケア講座~その2~



 2月9日のグリーフケア講座、2つ目の講演は、『かけがえのない人を亡くすということ―遺族の体験から―』小さないのちの坂下裕子さんのお話でした。

 坂下さんは1歳の子どもさんを病気で亡くされ、現在は子どもを亡くした家族の会・小さないのち(セルフヘルプグループ)で活動をされています。


 講演では、「1.言葉で伝えるグリーフ」 大切な人を亡くした遺族の言葉を紹介し、死別とはどのような体験なのか、そこからどう生きていくのか、悲嘆の持つ意味をご自身の体験も織り交ぜてお話しくださいました。

 ◇中原中也 『春日狂想』から
 「愛するものが死んだ時には 自殺しなけあなりません けれどもそれでも、業が深くて なほもながらふことともなつたら 奉仕の気持ちに、なることなんです 愛するものは、死んだのですから もはやどうにも、ならぬのですから そのもののために、そのもののために 奉仕の気持ちに、ならなけあならない」

 亡くなった子どもさんのところへ行ってやりたかった。でも生きていかなければならない。生き残った者として、死んだ子のために一生懸命生きて、認めてもらいたい。そのために遺族会のボランティア活動に打ち込まれたそうです。

 でも、次第に「死んだ人はそんなこと思ってないんじゃないか」と感じるようになりました。

 ◇宮沢賢治 『小岩井農場』から
 「かつて日本人は、「かなし」を、「悲し」とだけでなく「愛し」あるいは「美し」とすら書いて「かなし」と読んだ。 悲しみにはいつも、愛(いつく)しむ心が生きていて、そこには美としか呼ぶことのできない何かが宿っているというのである」

 ボランティアで遺族のお話を聴くうちに、遺族の話はもう亡き人への無私の思いにあふれ、愛に満ちて美しいと思われるようになりました。そのことが、遺族会を続けている理由なのですとおっしゃいました。


 「2.形で伝えるグリーフ」 10人の遺族が言葉ではなく図で描かれたグリーフを紹介していただきました。

  ◇闘病の末奥様を亡くされた男性は、亡くなったことで妻の苦しみはもうなくなったと感じ、闘病中の悲しみや不安や絶望から解放された心境を図示されました。

 ◇死別前は自分を中心に様々な人が円を描くように繋がっていたけれど、死別を境にそれまでの繋がりがバラバラになり、消えてしまった人(繋がりがなくなった人)もいます。自分自身も小さくなって、非力・無価値であると感じておられます。

 ◇それまでの人生ではプラスとマイナスの間を行き来していましたが、死別の衝撃が真ん中に大きなギザギザの壁を作り、プラスに行こうとしても壁に当たってマイナスに落ちてしまい、なかなか這い上がれなくなりました。段々と身を守ることに上手になって、壁の間をすり抜けて前に進めるようになりました。

 ◇子どもさんが亡くなってからも、その子が生きていれば何歳になり、進学・就職・結婚・孫ができる・・・と「そうなるはずだった道」ばかりを見つめていたという図を描かれた方。「ほんまやったら成人式なんです」ともうない道の方が「ほんま」だという気持ちを表されました。

 ◇5歳の時に弟を亡くされ、それまでは縦糸と横糸が整然と張られた網をイメージしていたのが、何が起こったのかよく分からない混乱、両親の悲しみやどうなっちゃうんだろうという不安で網の目はぐちゃぐちゃになりました。年月をかけて網は修復されますが、完全に元通りに戻ることはありません。

 ◇お母さんの生前は、自分はお母さんの傘の下に守られているイメージでした。関係の悪かったお父さんは傘の外に小さく描かれています。お母さんは亡くなりましたが、もっと大きな傘となって自分を入れてくれています。その後亡くなったお父さんも、お母さんの大きな傘の隅にいて、自分を守ってくれているようです。

 ◇死別時点から、いろんな感情がぐるぐると回っています。一見堂々巡りのようですが、そうではなく、質そのものが変化しながららせん状に巡って行っているのです。

 ◇生前は並んで進んでいた人生。一方が亡くなり、その時点でその人の人生は止まってしまい、私の人生はもぎ取られたように断絶します。しばらくは空白ができるのですが、生きていかなければと人生を進めていくと、亡くなった人がともにいてくれるのを実感します。寄り添っている、包み込むようにいる、私の中にいる・・・。いろんな形があるのです。

 ◇悲しみやいろんな感情が心の中に沸き起こり、 まるで水が真っ黒に濁ったようになりました。時間が経ち、心の中の水はまた澄んだ色になり、悲しみは消えてなくなったかのようですが、何かのきっかけで揺り戻しがあると、底に沈殿していた感情がまた舞い上がり、水は濁ってしまいます。悲しみは消えてなくなることはないのです。でも、じっとしていたらまた沈んでいくことが分かり、対処法を覚えるのです。

 ◇ゴムボールのような自分。独身⇒結婚⇒一人目の子どもが生まれる⇒二人目の子どもが生まれる・・・とボールは大きくなっていきます。⇒子供が亡くなった時、ボールの一部が破裂したように大きな傷ができました。まるで自分の一部がもぎ取られたようです。その傷口は変わることがありません。けれど、その後の人生で仕事や人との出会いや奉仕などを通して、自分のボールはまた大きくなります。本体が大きくなることで、傷の比重は小さくなり、生きていきやすくなるのです。

 これら、図に描かれた一人一人の悲嘆の歩みは、どれも大変共感できるものでした。


 次に、「3.身近な人だからできるグリーフケア」では専門家ではなく遺族の身近にいる人にこそできるグリーフケアについて説明されました。

 有効な遺族ケアには「情報的サポート」「道具的サポート」「情緒的サポート」「治療的サポート」があります。そのうち治療的サポート以外は身近な人こそができるサポートです。

 ◇情報的サポート・・・知識や資料を提供する、一緒に調べる、窓口を知らせるなど、死別後の手続きなどのお手伝いや場合によっては治療的サポートへつなぐ役目をします。

  ◇道具的サポート・・・おかずを届ける、家事を手伝う、子供を預かる、車で送るなど、悲しみに暮れてできなかったり手続きなどで忙しくて手が回らない面を助けます。

 ◇情緒的サポート・・・話をゆっくり聴く、ちょくちょく聴くなど、時間が限られる専門家にはできないかかわり方ができます。思い出を語らう、共に涙するなど、思い出を共有しているからこそできるサポートです。また、故人を忘れないでいてくれることは大きな慰めです。

 「グリーフケアの目指すところは悲嘆の軽減ではなく、しっかりと深く悲しめるように支えること」(橋本)
 たまらなくつらいときは
 「流れるままに涙を流すといい。何を言ってもどんな感情も、そのままに受け止めてくれる誰かがそこにいてくれると、もっといい。圧倒的な感情を表現し、それをともかく受け止めてもらえると、圧倒的だった感情は、少しだけ自分の手の中に持ちやすくなる」

 つらい気持ちを話すのは、あなたがそれを打ち明けられる相手だからです。自分で持とうとしているけれども持ちきれないグリーフに圧倒され、圧し潰されそうになっている人にとって、「聴いてもらう」ということは最高のケアです。言葉を挟まず、価値観を押し付けることなく聴いて欲しいのです。


 最後に、『最後だと分かっていたなら』(ノーマ・コーネット・マレック)という詩を朗読されました。
 
 失ってはじめて失った物の価値を知り後悔をしている。そうならないように、大切なものを心から大切にして今を生きてほしいと願っている。失う前に大切なものに気付き、行動につなげて欲しい。この痛みを他人事にしないでほしいという願いをこの詩は伝えているのです。


 悲嘆は生きている中で一番つらい体験ですが、同時に非常に豊かな体験だという気がします。悲嘆を体験したからこそより深く人生に向き合える。坂下さんのお話からもそれが伝わってきました。

  

2017年3月20日月曜日

城下町のひな祭り

 第11回龍野ひなまつり開催中です(~26日まで)

 商店や古民家を会場に、各家で愛蔵されてきた雛飾りを展示しています。町歩きを楽しみながら雛を巡ることができます。

 龍野歴史文化資料館でも特別展「ひいな―吉德これくしょん―」を開催中。





高校生の店龍北工房のうすくち醤油ラーメン

2017年3月19日日曜日

暖かくなりましたが


 風邪の具合がよろしくないので、お彼岸のお墓参りをパスして一日ゆっくりしています。何を食べても味がしないのがかないません。

2017年3月18日土曜日

たまには風邪をひく馬鹿

 先週の神戸が寒かったせいか、日曜日に油断して日向でうたた寝をしてしまったせいか、何年振りかで本格的に風邪をひいてしまいました。熱は出なかったのですが、熱が出る寸前のぞわ~~とした感じ、頭痛など全身に不快感があって、仕事は行ってたけれどなかなかしんどかったです。

 ピークは過ぎたと思いますが咳が治まらないので、内科を受診しました。喉のお薬だけで3種類も出ました。おかげで咳込みは抑えられていますが、しんどさはあまり取れず、食べ物の匂いや味が感じられません。

 
 職場の人事異動の内示が出て、今の相方は留任となり、ホッと一安心しています。ただ単に目の前のことに取り組むだけでなく、先を見通して目標を立て、じっくりと仕事をされる人で、頼りになる相方です。また一年一緒に仕事ができる事を嬉しく思います。

 私が今の仕事に就いた最初の一年間一緒だった方も、幹部として戻って来られることになりました。部署が違うけれど、毎日顔を合わせることになり楽しみです。

 4月からもいい仕事ができるよう頑張ろうと思います。

2017年3月12日日曜日

明治時代のお雛様



  色あせたアルバムの写真は2歳ごろの私です(#^^#)
 いえ、私じゃなくて、後ろに写るお雛様のお話です。

 実家のお雛様は父方の祖母から譲り受けたもので、その当時からして古びていました。私が結婚して家を出た時分から飾ることもなくなり、押し入れにしまわれたままでした。

 そのお雛様を実家から譲ってもらいました。


 恐る恐る組み立てて何とか飾ることができました。屏風の紙が弱くなり、少し力を入れると破れてしまいました。台も一部外れていたので釘で止めるなどしました。

 叔母に訊いたところでは、祖母の初節句のお雛様だそうです。1999年に90歳を前にして亡くなった祖母の生年をはっきりとは知らないのですが、明治40年ごろの生まれだと思います。

 お雛様がしまわれていた木箱の一番底に敷いてある新聞は、明治37年の日付で、それから推測すると祖母の姉のお雛様を、祖母が結婚するときか叔母が生まれた時に譲り受けたのではないでしょうか。明治37年としたら113年前のお雛様です。

 木箱の中には私の初節句の年の新聞も残っていました。

 縁あって我が家にやってきたお雛様。年を経て傷みが激しいので、修理をお願いして大事にしようと思っています。

2017年3月11日土曜日

うまく付き合うって難しいもので



 春はいつも、一足飛びにはやって来ません。暖かく体も緩む日があっても、また冬の寒さに戻り、行きつ戻りつしながらゆっくりと、ふと気が付けば「ああ、ようやく春らしくなったなぁ」と感じるものです。

 寒いけれど、もうコートも着たくなくて、薄い羽織り物の下にダウンベストを着て、あたたかなストールを巻いて出かけました。


 5週間ぶりの診察です。

 ホットフラッシュもひどくて、花粉症もきつく、腰痛にもなり、しんどくて仕事から帰ると何もしたくないんです。休日にも毎週スケジュールが入ってたので、疲れが重なっている気がします。

 仕事も、一昨年体調を崩した時から見ても、仕事量はほとんど変わっていません。この仕事は楽しいしやりがいもあり頑張れば達成感もあり、好きなんですけれど、やっぱり疲れてしまうんです。

 仕事がクリエイティブな分、オフはだらだらと流れに乗っていけばいいようなポケモンGOみたいなもので遊ぶのがいいのかもしれませんね。でも、本当は本が読めるぐらい元気になりたいんです。本、全く読んでませんもん。

  休日の手話関係の外出は義務感で、重荷なんです。それも良くないのだろうけれど、辞める気がない以上、最低限出なければならないこともあります。

 低空飛行ですけれど、このままぎりぎりの体調を保って何とかやっていくしかないんでしょうね。


 いつもは気楽な話に終わることが多い診察ですが、今日はさんざん弱音を吐いてしまいました。先生は「ちこさんはうまくやっておられますけどねぇ」と言ってくださったのですが、危ういところで踏みとどまっている感覚が怖い私です。

 先生からマインドフルネスについて教えていただきました。最近耳にする言葉ですが、全然知らなくて、お話を聞いてとても面白そうだなと思いました。帰りの電車の中でネットで論文を読んでみて、ぜひ取り組んでみたいと思っています。

 
 iPhoneに変えて、外でネットが使える便利さに驚いています。スマホ用に変換されるHPも多く、使い勝手がとても良いです。

 ポケモンGOをしているとバッテリーの減りが早いんですけれどね(;^ω^)

2017年3月7日火曜日

奈良旅2~古い町屋を訪ねて~

 2日目の朝はホテルのメインダイニングルーム三笠で洋定食を。天井が高く広々とした空間です。今回は広縁を思わせる窓辺の席に案内されました。



  チェックアウトの前、2階のロビーあたりで挙式前の写真撮影をしておられました。白無垢の花嫁さんと羽織袴の花婿さん。クラシカルな雰囲気にとても似合っていて素敵でした。

 その後、ならまちを散策しました。古い町屋が残っていて、カフェやギャラリーやお店として使われているところや、町屋そのものを公開しているところがあります。

 

  ならまち格子の家は江戸末期~明治の町屋を再現した施設です。うなぎの寝床と言われる間口が狭く奥行きの長い様式です。









襖の引手の意匠

 奈良町にぎわいの家は規模の大きな町屋で、現在は様々なイベントやワークショップが行われています。



 レトロな漢方薬局。軒先から吊るされているのは身代わり申です。奈良町のいたるところで目にしました。





 築100年の民家を改修したという cafe maru でパンケーキをいただきました。


 2日とも晴れて暖かく、日常から離れてゆっくりとした楽しい旅でした。
 
お土産のみむろ(最中)と大仏プリン


福寿草の季節に



 春まだ浅い頃、土を割って顔を出した福寿草は、日増しに明るく強くなる日差しを浴びて背を伸ばし、葉を開き、つややかな花びらが春の日を受けて輝きます。

 まだ寒の戻りもあるこの頃。寒さにも負けないで毎日咲き続ける凛とした強さ。

2017年3月6日月曜日

奈良旅1

 「お水取りが終わったら春が来る」と関西では言われます。お水取りとは、東大寺二月堂の修二会のこと(正確には修二会行中の3月13日に、観音様にお供えするお香水を若狭井という井戸からくみ上げる行事)をいい、3月1日から2週間の間、毎晩お松明が焚かれます。

 その修二会が始まった奈良へ、妹と行ってきました。

 泊まったのは一昨年に続き2度目の奈良ホテルです。今回は2階の部屋でした。




歴史を感じる重厚なたたずまい

 夕食は近鉄奈良駅近くのやまと旬菜三笠へ。


 
 
こじんまりと落ち着いた個室で奈良の地酒とお料理をいただきました。大和野菜のバーニャカウダは野菜そのものがすごく美味しかったです。盛り付けも素敵でした。

 夜になっても暖かく、ほろ酔いで奈良公園の中を通ってホテルに戻りました。

 部屋はスチームヒーターだけで暖かすぎるくらいで、ヒーターを切っても室温が保たれていて全く寒さを感じませんでした。