早いものです。コロナコロナと言っているうちに今年もあと半月余り。通院で神戸に行くのも年内最後でした。
どうも最近エネルギーが切れやすいというか、試験勉強や屋根工事をしていた去年よりもずっと楽なはずなのに、しんどさを感じています。
原因があるようなないような。診察で少し話してはみたのですが、背景も経過も分からない話を理解しろと言うのが無理な話で。やはり人に分かってもらえる話ではないのよねと改めて思いました。
気持ちが強まったり孤独を感じたりしたときの対処法を以前習って練習をしたので、それを使って自分でどうにかするしかない問題なのです。
コロナが収まる気配がなく不要不急の外出を自粛するよう県の要請が出ている中ですが、お正月前なのでいろいろと買い物がありました。南京町の南にある播磨屋本店に行くので、ついでに南京町のエストローヤルでシュークリームとプリンを買い、少し西のパンやきどころRIKIにも寄りました。
なんやかんやで大荷物です。次男と二人で分けて持ち、帰路につく前に東遊園地へ。今年はコロナのためにルミナリエが中止になりました。代替行事として「光の装飾~想いをつなぐために~」が今日まであり、例年ルミナリエ会場の東遊園地に設置される光の聖堂と、今回新しくイタリアから送られた小作品が、阪神淡路大震災の犠牲者を追悼する1.17希望の灯りに設置されていました。
いつものルミナリエとは違って、静かな雰囲気が鎮魂の思いを深くしているようで、心に残りました。
今夜サンテレビでルミナリエの25年を振り返る番組がありました。これまでの全作品が紹介され、この年はこんなことがあってと思い出しながら美しい映像を見ていると胸が熱くなりました。
2020年12月13日日曜日
今年最後の神戸でした
2020年3月22日日曜日
高野山へ
手話通訳者養成講座が修了したら高野山にお墓参りに行こう。ずっとそう思っていました。去年は講座と試験勉強と屋根の葺き替えで本当に余裕がなくて、とうとうお墓参りに行けずじまいだったのです。2月いっぱいで講座が終わるから、3月にお墓参りに行こう。4月になったら新年度で忙しくなり、また次の講座が始まって来年の春まで行けなくなってしまいます。
コロナウイルス感染拡大を防ぐために、不要不急の外出は控えましょうと呼びかけられている中、切実な用事だから決行しようと決めました。もし感染の機会があるとしたら電車内です。マスクをきっちり着用して、なるべく不便で乗客の少ない車両を選んで乗りました。
お墓参りをし、奥之院で水向地蔵で水塔婆供養をしました。塔婆を書いてもらう御供所では御朱印も授けているのですが、今日は甲子の日だったので、この日だけの大黒天の御朱印と通年の弘法大師の御朱印がいただけたようです。私は御朱印集めをしていないのですが、そんなめったにない巡り合わせの日だったら御朱印帳を持って行けばよかったと残念に思いました。
それから御廟橋を渡り、燈籠堂へ。こちらでは読経供養をしてもらうことができます。一霊につき1万円からで、時間は1時間ほどとのこと。また、灯明供養というのもあり、こちらは一霊3日間1千円からでした。一度はちゃんと読経供養をお願いしたいと思っているのですが、命日もまだしばらく先なので、今日は灯明供養をしました。
受付で申し込むと、お札とお線香がいただけました。
1年半ぶりにやっとお墓参りに行くことができ、不思議とこれからも頑張ろうという気持ちになりました。前向きな力に満たされた感じです。
高野山ケーブルは昨年の春から4代目ケーブルカーが運航しています。スマートな車体で、内装は木調で落ち着く雰囲気です。走行音はあまり変わりなくて懐かしい感じがしました。
2018年2月25日日曜日
春霞だったそうです
先週は勉強会で大阪へ。昨日は手話の会議と診察で神戸へ。今週末はまた勉強会で大阪へ行く予定です。私的には超ハードスケジュールです。
そんな合間にちょっと海を見に行ってきました。
気温はそれほど低くないようでしたが風が強くてちょっと寒かったかな。曇りでもないのですが、スッキリとした晴れでもなくて、海の色も鈍色がかっています。今朝の新聞によると春霞だったとか。
ここへは来るたびに心境の変化を感じます。静かな、穏やかな感じ。ここへよく来ていた頃の一生懸命さが愛おしく、昔もあの頃もそして今も、いつだって一生懸命な自分を振り返って海を眺めました。
今の私、間違ってない? これでいい?
問いかければ確かな答えが返ってきます。
2017年11月13日月曜日
ルミナリエの設置も進んでいます
11月に入ると、年内に神戸に行くのはあと何回・・・となってくるのですが、年末に向けて買い物などもあり、しっかり予定を立てて出掛けます。
ルミナリエの設置も進んでいました。今年は神戸開港150年の記念でデザインがずいぶん変わっています。灯りが点いたらどんな感じかしら。
今日はニュースで世界一のクリスマスツリーの木が神戸港に陸揚げされたとのこと。それも合わせて楽しみです。
2017年11月5日日曜日
穏やかで暖かい
今日も晴れて気持ちの良い一日です。
一日家事だけをして、夕暮れを迎えます。時間があっという間に過ぎていくのはどうしたことでしょう。
このブログに移転してちょうど1年。早いものです。こうして年月が経ち、おばあさんになってしまうのかな。
『感謝』 加藤和彦・坂崎幸之助(YouTube)
今日の残りの時間をかみしめて過ごしたいと思います。
2017年11月2日木曜日
「恩おくり」本郷由美子さんのお話
先週、本郷由美子さんのお話を聴きに行きました。本郷さんは2001年に大阪教育大学附属池田小学校児童殺傷事件で小学校2年生だった娘さんを亡くされています。
事件後、葬儀などのこと、捜査や裁判のことなど様々な手続きが押し寄せ、気が休まることがなかったそうです。その一方、目に映るものの色彩が消えるほどの悲嘆に暮れました。生きることもできない、死ぬこともできない・・・という時間を過ごされたということです。
そんな中でグリーフケアということを知り、本を読んで学び始められました。警察の捜査によって、、教室で刺されて瀕死の傷を負った娘さんが、廊下に出て出口に向かって68歩歩いて力尽きたことが分かりました。その現場に毎日通い詰め、娘さんが最後まで希望を捨てず歩き続けた68歩のメッセージから、生きる力を取り戻されました。
同じように事件で子どもさんを亡くされたご両親との出会いから、言葉ではない寄りそいによって力づけられるという体験をされています。
その後、精神対話士の資格を取り、上智大学グリーフケア研究所専門コースで学び、支援される側から支援する側へとなり、遺族ケアや終末期のケア、東日本大震災で被災された方のケア、いのちの授業などの活動を続けておられます。
支援される立場だった時に受けたご恩を、今悲嘆の中にいる人に恩おくりする・・・。その思いで活動されているということです。
生きたいと願って出口に向かって歩き続けた優希さん。どんな人でも、いのちの最後の時まで、生きようとするものだと私も思います。意識するしないに関わらず。その最後の願いを引き継ぎ、引き受けて残された者は生きていくのだろうと思います。
本郷さんほどまっすぐに活動することはなかなかできませんが、たとえ少しでも、恩おくりができればいいなと思います。
事件後、葬儀などのこと、捜査や裁判のことなど様々な手続きが押し寄せ、気が休まることがなかったそうです。その一方、目に映るものの色彩が消えるほどの悲嘆に暮れました。生きることもできない、死ぬこともできない・・・という時間を過ごされたということです。
そんな中でグリーフケアということを知り、本を読んで学び始められました。警察の捜査によって、、教室で刺されて瀕死の傷を負った娘さんが、廊下に出て出口に向かって68歩歩いて力尽きたことが分かりました。その現場に毎日通い詰め、娘さんが最後まで希望を捨てず歩き続けた68歩のメッセージから、生きる力を取り戻されました。
同じように事件で子どもさんを亡くされたご両親との出会いから、言葉ではない寄りそいによって力づけられるという体験をされています。
その後、精神対話士の資格を取り、上智大学グリーフケア研究所専門コースで学び、支援される側から支援する側へとなり、遺族ケアや終末期のケア、東日本大震災で被災された方のケア、いのちの授業などの活動を続けておられます。
支援される立場だった時に受けたご恩を、今悲嘆の中にいる人に恩おくりする・・・。その思いで活動されているということです。
生きたいと願って出口に向かって歩き続けた優希さん。どんな人でも、いのちの最後の時まで、生きようとするものだと私も思います。意識するしないに関わらず。その最後の願いを引き継ぎ、引き受けて残された者は生きていくのだろうと思います。
本郷さんほどまっすぐに活動することはなかなかできませんが、たとえ少しでも、恩おくりができればいいなと思います。
2017年10月29日日曜日
今ここ
カウンセリングや心理療法を勉強していると「今ここ」に注意を向けるという考えによく出合います。最近注目されているマインドフルネスもそうですし、カウンセリングの基本姿勢としてもよく説かれることです。
「今ここ」に注意を向けることで、囚われている問題と距離を置き、客観視できるようになるのです。
それで思い出したことがありました。死別後半年ほどお世話になっていた精神科クリニックでのことです。
仕事も失って家に引きこもり、いつもいつも亡き人のことが思い浮かんで悲しみや自責でいっぱいでした。
先生は「あなたが責任を感じることは何もありません。早く忘れましょう」と言われ、思い浮かびを即座にシャットアウトする練習をするようにと指示されました。
亡き人のことが思い浮かんだら、すぐに今していることに意識を向け、例えば皿洗いならそこに、洗濯物干しならそこに意識を集中するというやり方でした。
当時、そうすればどうなるのか、何を目的にそれをするのかの説明を受けなかったのですが、それはまさに、「今ここ」に注意を向けるということだったのです。
先生の指示通り3日間、日に何十遍も思い浮かびのたびに意識を今の作業に移すということをやりました。そしてへとへとになり、耐えられなくなりました。
今にして思えば、私が悲嘆にあったということを先生はつかんでおられなかったのでしょうし、勝手に思い浮かぶことはシャットアウトしたとしても、何もしていない時間に亡き人のことを想うのであればよかったのかもしれません。
けれど、死別後間もなくの時期にあって、生活の時間と悲嘆の時間を分ける事もまた不可能だったと思います。
その時の私にとって、「今ここ」は悲嘆の方にあったのではないかと思うのです。皿洗いよりも、洗濯物干しよりも、死別の苦しみの方が現実だったのではないかという気がします。
そういう自分の状況を自身で把握することもできていなかったし、それを伝える事もまたできなかった、9年前の体験です。
2017年10月9日月曜日
若松英輔さんの話、他連休は目まぐるしく
季節がひと月前に戻ったようなこの頃です。衣替えをして半袖はすっかり仕舞ったのですが、またTシャツを引っ張り出してきました。
金曜日の晩、若松英輔さんのお話を聴きに行ってきました。
「この会場には500人ほどいらっしゃいますが、私の死者と皆さんそれぞれの死者も共にいらっしゃいます」
若松さんのおっしゃる『死者』とは、遺体のことではなく、肉体の身体はなくなり存在の次元が違って目には見えないけれども、実在している亡き人のことです。亡き人は私たちを気にかけていて、こうして講演会の場にも私たちと一緒に来ているのです。
若松さんは、講演の内容は記録が残るもので後でそれを読めばいいので、覚えようとしなくていい。それよりも話を聴きながら感じることを大切にとどめてほしいとおっしゃいました。本を読んだり話を聴いたりするとき、その内容を学ばなくちゃと思いがちですが、知識だけが増えても仕方がない。そうでなくて、どう感じるか、何を感じるかをちゃんと味わい、自分の言葉にすることが大事ということです。確かにそうです。
ここ何年か、私は自分の気持ちや感じを言葉にすることがとても難しいと感じています。言葉にできないものだから、「特に何も感じてないのかしら?」と思うことさえあります。
若松さんは、言葉や言葉以前のコトバを大事にされていて、例えば大切な亡き人に宛てて手紙を書くことを勧められます。上手く書こうとか、綺麗な言葉で書こうとか、誰かから聞いた素敵な文句を使おうとかするのではなく、自らの中に言葉を探し、探し当てた言葉を綴るようにして手紙を書けば、それが亡き人へ贈る最高のものだとおっしゃいます。
お話を聴きながら、胸に生まれる様々な思いや感じをゆっくり味わいました。それを言葉にする作業が本当は大事なんだと若松さんに教わりましたが、今は言葉が見つからなくて、人に伝えることが出来そうにありません。宿題です。
その晩は実家に泊まり、翌朝髪をカットしてもらって、神戸で診察。買い物をして帰りました。くたくたで荷解きをしているところに、実家の妹から伯母が亡くなったという知らせが来ました。母の姉で、長く病気療養していました。
妹たちが仕事を空けられないため、父と私がお参りに行くことになりました。今夜お通夜、明日お葬式で、再び実家に向かいます。
昨日は休日の家事にいそしみました。秋祭りで子供神輿や屋台の巡行もありました。いろいろと目まぐるしく、日にちや曜日の感覚が狂いそうです。
金曜日の晩、若松英輔さんのお話を聴きに行ってきました。
「この会場には500人ほどいらっしゃいますが、私の死者と皆さんそれぞれの死者も共にいらっしゃいます」
若松さんのおっしゃる『死者』とは、遺体のことではなく、肉体の身体はなくなり存在の次元が違って目には見えないけれども、実在している亡き人のことです。亡き人は私たちを気にかけていて、こうして講演会の場にも私たちと一緒に来ているのです。
若松さんは、講演の内容は記録が残るもので後でそれを読めばいいので、覚えようとしなくていい。それよりも話を聴きながら感じることを大切にとどめてほしいとおっしゃいました。本を読んだり話を聴いたりするとき、その内容を学ばなくちゃと思いがちですが、知識だけが増えても仕方がない。そうでなくて、どう感じるか、何を感じるかをちゃんと味わい、自分の言葉にすることが大事ということです。確かにそうです。
ここ何年か、私は自分の気持ちや感じを言葉にすることがとても難しいと感じています。言葉にできないものだから、「特に何も感じてないのかしら?」と思うことさえあります。
若松さんは、言葉や言葉以前のコトバを大事にされていて、例えば大切な亡き人に宛てて手紙を書くことを勧められます。上手く書こうとか、綺麗な言葉で書こうとか、誰かから聞いた素敵な文句を使おうとかするのではなく、自らの中に言葉を探し、探し当てた言葉を綴るようにして手紙を書けば、それが亡き人へ贈る最高のものだとおっしゃいます。
お話を聴きながら、胸に生まれる様々な思いや感じをゆっくり味わいました。それを言葉にする作業が本当は大事なんだと若松さんに教わりましたが、今は言葉が見つからなくて、人に伝えることが出来そうにありません。宿題です。
その晩は実家に泊まり、翌朝髪をカットしてもらって、神戸で診察。買い物をして帰りました。くたくたで荷解きをしているところに、実家の妹から伯母が亡くなったという知らせが来ました。母の姉で、長く病気療養していました。
妹たちが仕事を空けられないため、父と私がお参りに行くことになりました。今夜お通夜、明日お葬式で、再び実家に向かいます。
昨日は休日の家事にいそしみました。秋祭りで子供神輿や屋台の巡行もありました。いろいろと目まぐるしく、日にちや曜日の感覚が狂いそうです。
| 来年の手帳と新しい日記帳を準備しました |
2017年9月3日日曜日
若松英輔を読む
亡くなった人は死者として存在している。これは今の私の実感です。
心の中に生きているとか、私たちが忘れないでいる限り亡くなった人も死なないとか、よく言いますよね。私は、亡くなった人というのは生きている人の思いの中に閉じ込められているのじゃなくて、姿かたちはなくとも生き生きと存在し、私たちに祈りや願いをもって働きかけていると感じています。
若松英輔さんの『死者との対話』を読んで、死者の実存をはっきりと語る人が実はたくさんいらっしゃることを知りました。
若松さんの死者論、若松さんが取り上げているほかの作品を読んでみるつもりです。
2017年8月5日土曜日
真夏の高野山へ
休みを利用して高野山に行きました。列車を乗り継ぎ高野山ケーブルに乗り、最後はバスで。5時間かけて中の橋に到着。
猛暑が続く関西ですが、ここは気温27度の別天地です。
紫陽花が咲いていました。
精進定食をいただき。
お墓参り。手入れされているお墓にホッとして、墓石を洗い、高野槇と清水を供え、ろうそくとお線香を焚いてお参りしました。
めったに来られないからでしょうか、お墓にお参りすると、普段と違った対話ができます。
時折雨がサアーーッと降りました。清浄な空気に包まれる感じがします。
奥之院にお参りし、水向地蔵で卒塔婆供養をしました。寺院や奥之院で回向をお願いしたいと思うのですが、日帰りではなかなか難しいところです。
結局今回もお墓参りと奥之院お参りだけで帰路につきました。
ケーブル下の極楽橋駅では、駅舎に風鈴がたくさん吊るしてありました。
新今宮駅で電車を降りると途端に息苦しいほどの暑さ…。真夏の高野山は本当に別世界でした。
2017年6月17日土曜日
死んでいく力
もっと良い看取りがしたかったと思っていました。ちゃんと看取られずに死んでいった人が可哀想でなりませんでした。それでも、出来るだけのことをしたという思いもあり、私が看取ったとも思っていました。
死にゆく人は、看取られる人。看取る・看取られる関係の中で、死にゆく人は受け身の存在なのでしょうか。
なんだか、ちょっと違うんじゃないか。死にゆく人も、主体的に死を生きると言えるのではないか。この頃、そんな気がしています。
作家の三浦綾子さんは、晩年パーキンソン病を患い、介護を受けながら暮らしておられました。執筆ができなくなってから、「私には死ぬという大切な仕事が待っている」とおっしゃっていたそうです。
柏木先生は、「こう言っては何かもしれませんが・・・」と前置きして、「一人一人には、死ぬ力があるのです」とおっしゃいました。
死んでいく力・・・確かにそうでした。苦痛と孤独に耐え、死を生き抜いた亡き人は立派だったなと思います。
でも、どんな気持ちで一人で死に向き合っていたのだろう、どうしてその気持ちを聴こうとしなかったのだろうと、私には後悔が今もあるのです。
死にゆく人は、看取られる人。看取る・看取られる関係の中で、死にゆく人は受け身の存在なのでしょうか。
なんだか、ちょっと違うんじゃないか。死にゆく人も、主体的に死を生きると言えるのではないか。この頃、そんな気がしています。
作家の三浦綾子さんは、晩年パーキンソン病を患い、介護を受けながら暮らしておられました。執筆ができなくなってから、「私には死ぬという大切な仕事が待っている」とおっしゃっていたそうです。
柏木先生は、「こう言っては何かもしれませんが・・・」と前置きして、「一人一人には、死ぬ力があるのです」とおっしゃいました。
死んでいく力・・・確かにそうでした。苦痛と孤独に耐え、死を生き抜いた亡き人は立派だったなと思います。
でも、どんな気持ちで一人で死に向き合っていたのだろう、どうしてその気持ちを聴こうとしなかったのだろうと、私には後悔が今もあるのです。
2017年3月25日土曜日
神戸市主催 グリーフケア講座~その2~
2月9日のグリーフケア講座、2つ目の講演は、『かけがえのない人を亡くすということ―遺族の体験から―』小さないのちの坂下裕子さんのお話でした。
坂下さんは1歳の子どもさんを病気で亡くされ、現在は子どもを亡くした家族の会・小さないのち(セルフヘルプグループ)で活動をされています。
講演では、「1.言葉で伝えるグリーフ」 大切な人を亡くした遺族の言葉を紹介し、死別とはどのような体験なのか、そこからどう生きていくのか、悲嘆の持つ意味をご自身の体験も織り交ぜてお話しくださいました。
◇中原中也 『春日狂想』から
「愛するものが死んだ時には 自殺しなけあなりません けれどもそれでも、業が深くて なほもながらふことともなつたら 奉仕の気持ちに、なることなんです 愛するものは、死んだのですから もはやどうにも、ならぬのですから そのもののために、そのもののために 奉仕の気持ちに、ならなけあならない」
亡くなった子どもさんのところへ行ってやりたかった。でも生きていかなければならない。生き残った者として、死んだ子のために一生懸命生きて、認めてもらいたい。そのために遺族会のボランティア活動に打ち込まれたそうです。
でも、次第に「死んだ人はそんなこと思ってないんじゃないか」と感じるようになりました。
◇宮沢賢治 『小岩井農場』から
「かつて日本人は、「かなし」を、「悲し」とだけでなく「愛し」あるいは「美し」とすら書いて「かなし」と読んだ。 悲しみにはいつも、愛(いつく)しむ心が生きていて、そこには美としか呼ぶことのできない何かが宿っているというのである」
ボランティアで遺族のお話を聴くうちに、遺族の話はもう亡き人への無私の思いにあふれ、愛に満ちて美しいと思われるようになりました。そのことが、遺族会を続けている理由なのですとおっしゃいました。
「2.形で伝えるグリーフ」 10人の遺族が言葉ではなく図で描かれたグリーフを紹介していただきました。
◇闘病の末奥様を亡くされた男性は、亡くなったことで妻の苦しみはもうなくなったと感じ、闘病中の悲しみや不安や絶望から解放された心境を図示されました。
◇死別前は自分を中心に様々な人が円を描くように繋がっていたけれど、死別を境にそれまでの繋がりがバラバラになり、消えてしまった人(繋がりがなくなった人)もいます。自分自身も小さくなって、非力・無価値であると感じておられます。
◇それまでの人生ではプラスとマイナスの間を行き来していましたが、死別の衝撃が真ん中に大きなギザギザの壁を作り、プラスに行こうとしても壁に当たってマイナスに落ちてしまい、なかなか這い上がれなくなりました。段々と身を守ることに上手になって、壁の間をすり抜けて前に進めるようになりました。
◇子どもさんが亡くなってからも、その子が生きていれば何歳になり、進学・就職・結婚・孫ができる・・・と「そうなるはずだった道」ばかりを見つめていたという図を描かれた方。「ほんまやったら成人式なんです」ともうない道の方が「ほんま」だという気持ちを表されました。
◇5歳の時に弟を亡くされ、それまでは縦糸と横糸が整然と張られた網をイメージしていたのが、何が起こったのかよく分からない混乱、両親の悲しみやどうなっちゃうんだろうという不安で網の目はぐちゃぐちゃになりました。年月をかけて網は修復されますが、完全に元通りに戻ることはありません。
◇お母さんの生前は、自分はお母さんの傘の下に守られているイメージでした。関係の悪かったお父さんは傘の外に小さく描かれています。お母さんは亡くなりましたが、もっと大きな傘となって自分を入れてくれています。その後亡くなったお父さんも、お母さんの大きな傘の隅にいて、自分を守ってくれているようです。
◇死別時点から、いろんな感情がぐるぐると回っています。一見堂々巡りのようですが、そうではなく、質そのものが変化しながららせん状に巡って行っているのです。
◇生前は並んで進んでいた人生。一方が亡くなり、その時点でその人の人生は止まってしまい、私の人生はもぎ取られたように断絶します。しばらくは空白ができるのですが、生きていかなければと人生を進めていくと、亡くなった人がともにいてくれるのを実感します。寄り添っている、包み込むようにいる、私の中にいる・・・。いろんな形があるのです。
◇悲しみやいろんな感情が心の中に沸き起こり、 まるで水が真っ黒に濁ったようになりました。時間が経ち、心の中の水はまた澄んだ色になり、悲しみは消えてなくなったかのようですが、何かのきっかけで揺り戻しがあると、底に沈殿していた感情がまた舞い上がり、水は濁ってしまいます。悲しみは消えてなくなることはないのです。でも、じっとしていたらまた沈んでいくことが分かり、対処法を覚えるのです。
◇ゴムボールのような自分。独身⇒結婚⇒一人目の子どもが生まれる⇒二人目の子どもが生まれる・・・とボールは大きくなっていきます。⇒子供が亡くなった時、ボールの一部が破裂したように大きな傷ができました。まるで自分の一部がもぎ取られたようです。その傷口は変わることがありません。けれど、その後の人生で仕事や人との出会いや奉仕などを通して、自分のボールはまた大きくなります。本体が大きくなることで、傷の比重は小さくなり、生きていきやすくなるのです。
これら、図に描かれた一人一人の悲嘆の歩みは、どれも大変共感できるものでした。
次に、「3.身近な人だからできるグリーフケア」では専門家ではなく遺族の身近にいる人にこそできるグリーフケアについて説明されました。
有効な遺族ケアには「情報的サポート」「道具的サポート」「情緒的サポート」「治療的サポート」があります。そのうち治療的サポート以外は身近な人こそができるサポートです。
◇情報的サポート・・・知識や資料を提供する、一緒に調べる、窓口を知らせるなど、死別後の手続きなどのお手伝いや場合によっては治療的サポートへつなぐ役目をします。
◇道具的サポート・・・おかずを届ける、家事を手伝う、子供を預かる、車で送るなど、悲しみに暮れてできなかったり手続きなどで忙しくて手が回らない面を助けます。
◇情緒的サポート・・・話をゆっくり聴く、ちょくちょく聴くなど、時間が限られる専門家にはできないかかわり方ができます。思い出を語らう、共に涙するなど、思い出を共有しているからこそできるサポートです。また、故人を忘れないでいてくれることは大きな慰めです。
「グリーフケアの目指すところは悲嘆の軽減ではなく、しっかりと深く悲しめるように支えること」(橋本)
たまらなくつらいときは
「流れるままに涙を流すといい。何を言ってもどんな感情も、そのままに受け止めてくれる誰かがそこにいてくれると、もっといい。圧倒的な感情を表現し、それをともかく受け止めてもらえると、圧倒的だった感情は、少しだけ自分の手の中に持ちやすくなる」
つらい気持ちを話すのは、あなたがそれを打ち明けられる相手だからです。自分で持とうとしているけれども持ちきれないグリーフに圧倒され、圧し潰されそうになっている人にとって、「聴いてもらう」ということは最高のケアです。言葉を挟まず、価値観を押し付けることなく聴いて欲しいのです。
最後に、『最後だと分かっていたなら』(ノーマ・コーネット・マレック)という詩を朗読されました。
失ってはじめて失った物の価値を知り後悔をしている。そうならないように、大切なものを心から大切にして今を生きてほしいと願っている。失う前に大切なものに気付き、行動につなげて欲しい。この痛みを他人事にしないでほしいという願いをこの詩は伝えているのです。
悲嘆は生きている中で一番つらい体験ですが、同時に非常に豊かな体験だという気がします。悲嘆を体験したからこそより深く人生に向き合える。坂下さんのお話からもそれが伝わってきました。
2017年3月11日土曜日
うまく付き合うって難しいもので
春はいつも、一足飛びにはやって来ません。暖かく体も緩む日があっても、また冬の寒さに戻り、行きつ戻りつしながらゆっくりと、ふと気が付けば「ああ、ようやく春らしくなったなぁ」と感じるものです。
寒いけれど、もうコートも着たくなくて、薄い羽織り物の下にダウンベストを着て、あたたかなストールを巻いて出かけました。
5週間ぶりの診察です。
ホットフラッシュもひどくて、花粉症もきつく、腰痛にもなり、しんどくて仕事から帰ると何もしたくないんです。休日にも毎週スケジュールが入ってたので、疲れが重なっている気がします。
仕事も、一昨年体調を崩した時から見ても、仕事量はほとんど変わっていません。この仕事は楽しいしやりがいもあり頑張れば達成感もあり、好きなんですけれど、やっぱり疲れてしまうんです。
仕事がクリエイティブな分、オフはだらだらと流れに乗っていけばいいようなポケモンGOみたいなもので遊ぶのがいいのかもしれませんね。でも、本当は本が読めるぐらい元気になりたいんです。本、全く読んでませんもん。
休日の手話関係の外出は義務感で、重荷なんです。それも良くないのだろうけれど、辞める気がない以上、最低限出なければならないこともあります。
低空飛行ですけれど、このままぎりぎりの体調を保って何とかやっていくしかないんでしょうね。
いつもは気楽な話に終わることが多い診察ですが、今日はさんざん弱音を吐いてしまいました。先生は「ちこさんはうまくやっておられますけどねぇ」と言ってくださったのですが、危ういところで踏みとどまっている感覚が怖い私です。
先生からマインドフルネスについて教えていただきました。最近耳にする言葉ですが、全然知らなくて、お話を聞いてとても面白そうだなと思いました。帰りの電車の中でネットで論文を読んでみて、ぜひ取り組んでみたいと思っています。
iPhoneに変えて、外でネットが使える便利さに驚いています。スマホ用に変換されるHPも多く、使い勝手がとても良いです。
ポケモンGOをしているとバッテリーの減りが早いんですけれどね(;^ω^)
ラベル:
ちこの雑記帳,
一病息災(うつ病との付き合い方),
死別と悲嘆,
働く
2017年3月7日火曜日
福寿草の季節に
春まだ浅い頃、土を割って顔を出した福寿草は、日増しに明るく強くなる日差しを浴びて背を伸ばし、葉を開き、つややかな花びらが春の日を受けて輝きます。
まだ寒の戻りもあるこの頃。寒さにも負けないで毎日咲き続ける凛とした強さ。
2017年2月21日火曜日
神戸市主催 グリーフケア講座~その1~
2月9日、神戸市主催のグリーフケア講座を受講しました。知らなかったのですが、神戸市では去年・一昨年(それ以前は不明)連続講座の形でグリーフケアを学ぶ講座が開かれており、今年は単発の講座として開催されたそうです。
この日は1時間の講座を2本続けて聞くというもので、最初は関西学院大学人間福祉学部人間科学科教授 坂口幸弘先生の『グリーフケアって何だろう? ~基本的な考え方~』
グリーフケアという言葉は社会に浸透してきましたが、では一体グリーフケアってどんなもの?と言うとよく分からない・・・。死別と悲嘆の定義から始まり、なぜグリーフケアが必要なのか、誰がケアを行うのか、誰に対して行うのか、何をすればいいのか、グリーフケアの目標はどこにあるのか・・・具体例を交えてわかりやすくお話していただきました。
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死別とは「死によって大切な人を亡くすという経験をした個人の客観的な状況」であり、悲嘆とは「喪失に対する様々な心理的・身体的症状を含む情動的反応、情動的な症候群ともいう」。
死別という言葉は、自分にとって大切な人・強いつながりがあった人が亡くなった時にだけ使われるものです。だから、グリーフケアの対象者は死別を経験した人にまず限られます(そのすべての人ではありません)。
悲嘆は「悲しむ嘆く」という言葉から心の面だけととらえがちですが、そうではなく、悲しみや不安や自責や怒りや思慕などの感情的反応、動揺や過活動や泣くことや探索行動や引きこもるなどの行動的反応、故人を想うことへの没頭や無力感や絶望感などの認知的反応、食欲不振や睡眠障害や身体愁訴などの生理的・身体的反応という多彩な悲嘆反応が見られます。
これは死別に対する正常な反応(誰しも経験するもの)であって、病気ではありません。その反応には個人差があり、どの反応が出るか、その強さは一人一人違い、変化もあります。
このように悲嘆反応は病気ではないけれども、悲嘆を経験する人はうつ病のリスクが高まり、死亡率が高まり、自殺リスクが高まり、悲嘆の症状が1年を超えても日常生活に支障が出る強いレベルで続く複雑性悲嘆のリスクがあるという研究結果があります。
グリーフケアは、これらのリスクを小さくするために、そして、残された人が生活や人生を取り戻すために必要なのです。
二重過程モデル(Stroebe&Schut1999)によると、遺族の日常生活全体の中に「喪失志向型対処」と「回復志向型対処」の2つの部分があり、悲嘆はその二つの部分を行き来しながら進むとされています。
喪失志向型対処は心のケアという言葉でとらえられる面で、死を自分なりにどう受け止めるのかや死の意味をとらえ直すなど、死別や亡くなった人に向き合う対処を言います。回復志向型対処は残された人が生活や人生に向き合い、食事を作ることや法律的手続きをするなど、具体的で問題解決的な対処の部分です。死別を体験した人は、そのどちらにも同時並行で向き合っていきます。ある時は喪失志向型対処の方に振れ、ある時は回復志向型対処の方に振れ、揺らぎながら悲嘆を進んでいくのです。
グリーフケアはその両面を考えなければなりません。
グリーフケアという言葉からは何か専門的な介入を連想しがちですが、遺族同士、家族・親族・友人知人、医療関係者・福祉関係者・宗教家・葬儀業者・学校関係者・司法書士など遺族に接する人々、カウンセラーや精神科医などの専門家、公的機関、その他(傾聴ボランティアなど)遺族の周囲の様々な人がグリーフケアの担い手になり得ます。
グリーフケアを必要とするのはすべての遺族という訳ではありません。遺族の約60%は第三者の特別な介入を必要としません。約30%の人はピアサポートなどの助けを必要とし、約10%の人は専門家のサポートを必要とします。
ではグリーフケアとはいったい何をすればいいのでしょう。
一番大切な出発点は「遺族のことを思いやる気持ち」です。気にかけてくれる人がいるというだけで支えになるのです。
1.相手の思いを尊重する(自分の価値観を押し付けない)
2.そばにいること
3.じっくりと耳を傾ける(同じ話の繰り返しを遮らない)
4.長い目で見守る(悲嘆の過程はとても長いものです)
5.生活面での手助けをする(子供を預かる・食事を差し入れるなど)
6.身体的な健康にも気を配る
6.状態に応じて専門家の受診をすすめる(自殺のリスクがあれば必ず)
☆ 故人の思い出を分かち合う
生物学的な死と社会的な死とはイコールではなく、故人の思い出や存在を分かち合うことによって、社会的存在として故人が生きていることを実感できます。忘れずに気にかけてくれていることや故人の存在を遺族と共有することは遺族にとってとてもうれしく感じられます。
グリーフケアの目標はどこにあるのでしょうか。
亡くなった人が戻ってくることはもうないのですから、完全な回復というのはありません。悲しみを癒しきることはできないのです。立ち直りや回復ではなく、故人のもういない世界の中でどのように生き延びていくのか、死別後の世界へどう適応するのかがグリーフケアの目標になります。
阪神・淡路大震災の遺族に対するアンケート調査の結果、震災後20年近く経った時点でも、亡き家族への思いが続いていることや、自分が助かり家族が亡くなったことへの後ろめたさを今も感じていることが分かりました。
家族の死をどう受け止めているかという質問には、納得できている、納得できていないが納得しようと努めていない(考えないようにしている)、納得できておらず今も納得しようと努めている(意味を探し求めている) と回答が分かれています。これはどれが良くどれが悪いというのではなく、どれでも構わないのです。意味は見つからないこともあり、納得できないこともあります。それとどう折り合いをつけて生きていくかという事なのです。
「人生を物語にたとえるとしたら、そして私たちが行動、意思決定、言葉によって物語を執筆していると仮定すれば、喪失はその流れを中断するものです。
喪失前と後では、決定的な話の矛盾が起きてくる恐れがあります。
ある章の途中で中心人物を失った小説のように、死別による喪失で崩壊した人生の物語をわかりやすく続行させるために、著者は筋書きに大幅な変更を想定せざるを得ないのです。
Neimeyer」
死という出来事自体に対しては受け身でも、どう受け止めていくのか、どう対処するのかには選択肢があります。その人自身がどのような物語を書き継いでいくのか、時間はかかりますが支えるしかないのです。どんな人にも物語を書く力があり、時間をかけてその力を取り戻すことができるのです。グリーフケアとは、その道行に寄り添うものなのです。
この日は1時間の講座を2本続けて聞くというもので、最初は関西学院大学人間福祉学部人間科学科教授 坂口幸弘先生の『グリーフケアって何だろう? ~基本的な考え方~』
グリーフケアという言葉は社会に浸透してきましたが、では一体グリーフケアってどんなもの?と言うとよく分からない・・・。死別と悲嘆の定義から始まり、なぜグリーフケアが必要なのか、誰がケアを行うのか、誰に対して行うのか、何をすればいいのか、グリーフケアの目標はどこにあるのか・・・具体例を交えてわかりやすくお話していただきました。
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死別とは「死によって大切な人を亡くすという経験をした個人の客観的な状況」であり、悲嘆とは「喪失に対する様々な心理的・身体的症状を含む情動的反応、情動的な症候群ともいう」。
死別という言葉は、自分にとって大切な人・強いつながりがあった人が亡くなった時にだけ使われるものです。だから、グリーフケアの対象者は死別を経験した人にまず限られます(そのすべての人ではありません)。
悲嘆は「悲しむ嘆く」という言葉から心の面だけととらえがちですが、そうではなく、悲しみや不安や自責や怒りや思慕などの感情的反応、動揺や過活動や泣くことや探索行動や引きこもるなどの行動的反応、故人を想うことへの没頭や無力感や絶望感などの認知的反応、食欲不振や睡眠障害や身体愁訴などの生理的・身体的反応という多彩な悲嘆反応が見られます。
これは死別に対する正常な反応(誰しも経験するもの)であって、病気ではありません。その反応には個人差があり、どの反応が出るか、その強さは一人一人違い、変化もあります。
このように悲嘆反応は病気ではないけれども、悲嘆を経験する人はうつ病のリスクが高まり、死亡率が高まり、自殺リスクが高まり、悲嘆の症状が1年を超えても日常生活に支障が出る強いレベルで続く複雑性悲嘆のリスクがあるという研究結果があります。
グリーフケアは、これらのリスクを小さくするために、そして、残された人が生活や人生を取り戻すために必要なのです。
二重過程モデル(Stroebe&Schut1999)によると、遺族の日常生活全体の中に「喪失志向型対処」と「回復志向型対処」の2つの部分があり、悲嘆はその二つの部分を行き来しながら進むとされています。
喪失志向型対処は心のケアという言葉でとらえられる面で、死を自分なりにどう受け止めるのかや死の意味をとらえ直すなど、死別や亡くなった人に向き合う対処を言います。回復志向型対処は残された人が生活や人生に向き合い、食事を作ることや法律的手続きをするなど、具体的で問題解決的な対処の部分です。死別を体験した人は、そのどちらにも同時並行で向き合っていきます。ある時は喪失志向型対処の方に振れ、ある時は回復志向型対処の方に振れ、揺らぎながら悲嘆を進んでいくのです。
グリーフケアはその両面を考えなければなりません。
グリーフケアという言葉からは何か専門的な介入を連想しがちですが、遺族同士、家族・親族・友人知人、医療関係者・福祉関係者・宗教家・葬儀業者・学校関係者・司法書士など遺族に接する人々、カウンセラーや精神科医などの専門家、公的機関、その他(傾聴ボランティアなど)遺族の周囲の様々な人がグリーフケアの担い手になり得ます。
グリーフケアを必要とするのはすべての遺族という訳ではありません。遺族の約60%は第三者の特別な介入を必要としません。約30%の人はピアサポートなどの助けを必要とし、約10%の人は専門家のサポートを必要とします。
ではグリーフケアとはいったい何をすればいいのでしょう。
一番大切な出発点は「遺族のことを思いやる気持ち」です。気にかけてくれる人がいるというだけで支えになるのです。
1.相手の思いを尊重する(自分の価値観を押し付けない)
2.そばにいること
3.じっくりと耳を傾ける(同じ話の繰り返しを遮らない)
4.長い目で見守る(悲嘆の過程はとても長いものです)
5.生活面での手助けをする(子供を預かる・食事を差し入れるなど)
6.身体的な健康にも気を配る
6.状態に応じて専門家の受診をすすめる(自殺のリスクがあれば必ず)
☆ 故人の思い出を分かち合う
生物学的な死と社会的な死とはイコールではなく、故人の思い出や存在を分かち合うことによって、社会的存在として故人が生きていることを実感できます。忘れずに気にかけてくれていることや故人の存在を遺族と共有することは遺族にとってとてもうれしく感じられます。
グリーフケアの目標はどこにあるのでしょうか。
亡くなった人が戻ってくることはもうないのですから、完全な回復というのはありません。悲しみを癒しきることはできないのです。立ち直りや回復ではなく、故人のもういない世界の中でどのように生き延びていくのか、死別後の世界へどう適応するのかがグリーフケアの目標になります。
阪神・淡路大震災の遺族に対するアンケート調査の結果、震災後20年近く経った時点でも、亡き家族への思いが続いていることや、自分が助かり家族が亡くなったことへの後ろめたさを今も感じていることが分かりました。
家族の死をどう受け止めているかという質問には、納得できている、納得できていないが納得しようと努めていない(考えないようにしている)、納得できておらず今も納得しようと努めている(意味を探し求めている) と回答が分かれています。これはどれが良くどれが悪いというのではなく、どれでも構わないのです。意味は見つからないこともあり、納得できないこともあります。それとどう折り合いをつけて生きていくかという事なのです。
「人生を物語にたとえるとしたら、そして私たちが行動、意思決定、言葉によって物語を執筆していると仮定すれば、喪失はその流れを中断するものです。
喪失前と後では、決定的な話の矛盾が起きてくる恐れがあります。
ある章の途中で中心人物を失った小説のように、死別による喪失で崩壊した人生の物語をわかりやすく続行させるために、著者は筋書きに大幅な変更を想定せざるを得ないのです。
Neimeyer」
死という出来事自体に対しては受け身でも、どう受け止めていくのか、どう対処するのかには選択肢があります。その人自身がどのような物語を書き継いでいくのか、時間はかかりますが支えるしかないのです。どんな人にも物語を書く力があり、時間をかけてその力を取り戻すことができるのです。グリーフケアとは、その道行に寄り添うものなのです。
2017年2月4日土曜日
光る海を見に
節分に北海道神宮の福豆を。歳の数より一つ多く・・・と数えてお皿に入れてみたところです(´・ω・`) たくさんの福をいただきましたよ♪
そして立春の今日は一日晴れで、気温11℃。風もありましたが、日差しが降り注いで寒さを感じませんでした。光の春です。
いつもの診察で、年末年始の疲れがなかなか取れず補中益気湯を飲んでいること、休日にはつい家事に精を出してしまい、どうもうまく休めないことを話しました。
家事に励むことは仕事とは違うチャンネルに切り替えて集中しているということで、 悪いことではないのでは・・・と先生。そう言われればそういう気もします。ただ、仕事も家事も、好きで頑張りたいしやりがいも楽しさもあるけれど、もうちょっと気を抜いてできる何かがあるといいのではないかなぁと私は思うのです。
現場から離れることも大事という気がしていて、この場合家から離れる(出掛ける)ことで強制的にスイッチがオフになるのですが、出掛けると疲れてもしまうので、つい予定のない休日は家から出ないことになります。
だから、通院で神戸に行く時がチャンスです。どうせ出かけるその時に、前もってプランを立ててショッピングや街歩きを楽しむことにしています。
久し振りに、悲嘆治療を受けた海辺の診療所(の海辺)に行ってきました。この海の色が見たかったのです。
主治医だったK先生は今頃診察中なんだろうなぁ。すぐそこにいらっしゃるのに、会うことはできないのです。 会いたいなぁ・・・。
ここに来ると、その時分の感覚がよみがえってきます。卒業の時は心細かったけれど、卒業して良かったんだろうなと思います。もし今もここに通っていたとしたら、この体が覚えている悲しさや辛さからなかなか自由にはなれなかったかもしれません。
ここはK先生という素敵な人生の先輩と出逢えた場所でもあります。聡明で、医師としての腕前も確かで(そうなるには大変な努力をされ)、ユーモアのセンスがあり、生き生きしていて、はっきりと物を言い、やさしくて、可愛らしい先生。私も、先生のような人になりたいと思います。
そして、この時期のお楽しみといえばデパートのバレンタインフェア(*^▽^*)
デパートをはしごしていろんなチョコレートを試食し、ショーウインドーをじっくり見て回り、美味しかったトリュフや話題のショコラティエのお店のチョコをおうちのティータイム用に買いました。バレンタインの時しか買えないものも多くて、どれにしようか迷います。素敵なパッケージのチョコはジャケ買いしたくなりますね♪
神戸で過ごすこんな休日が、今の私には一番大事かもしれません。
2017年1月29日日曜日
少し寒さが和らいで
1月中旬は寒波到来でたいへん冷え込み、雪の日もありましたが、その寒さも一段落して、立春前のしばらくは暖かい日が続きそうです。
昨日はこの時季には珍しく一日快晴でした。久しぶりに布団を盛大に干し、ふっくらお日様の匂いのお布団にくるまって寝た昨夜は幸せでした。
相変わらず休日になると料理やら掃除やらにいそしんでおります。
昨日おからを炊くためにささがきごぼうをしていたら、急に炊き込みご飯を作りたくなりました。炊き込みご飯は数少ない得意料理の一つで、ささがきごぼうやニンジン、シメジ、お揚げ、こんにゃくなどを大量に刻んで、一度に5合ぐらい作り、人様に差し入れたりもしました。そういえば長い間作ってなかったなと気が付きました。今夜は久しぶりに炊き込みご飯にしようと思っています。
昨日はあんまり良いお天気だったので、家事が一段落してから散歩に出かけました。城跡で紅梅が咲いていました。10年以上前に遠来の客を案内して町を歩いたのも同じ頃でしたが、その時に梅が咲いていたかどうか全く覚えていません。寒中の古い町は素っ気ない印象だったのではないでしょうか。
もう少しすれば町中の家々に雛飾りを飾り、散策しながら楽しんでもらえるイベントが始まります。そんな折にはまた訪ねてきてください。
先週、来年度から勤務条件が少し変わるという話がありました。現在は1日7時間15分の勤務ですが、4月からは6時間30分になるということです。仕事量が変わるわけではないので、さらに忙しくなるのか、果たして仕事が回るのか、心配になります。でも、体は確実に楽になるだろうと思います。
与えられた枠内で頑張る。できる事を精一杯やる。結局それしかないのです。
昨日はこの時季には珍しく一日快晴でした。久しぶりに布団を盛大に干し、ふっくらお日様の匂いのお布団にくるまって寝た昨夜は幸せでした。
相変わらず休日になると料理やら掃除やらにいそしんでおります。
昨日おからを炊くためにささがきごぼうをしていたら、急に炊き込みご飯を作りたくなりました。炊き込みご飯は数少ない得意料理の一つで、ささがきごぼうやニンジン、シメジ、お揚げ、こんにゃくなどを大量に刻んで、一度に5合ぐらい作り、人様に差し入れたりもしました。そういえば長い間作ってなかったなと気が付きました。今夜は久しぶりに炊き込みご飯にしようと思っています。
昨日はあんまり良いお天気だったので、家事が一段落してから散歩に出かけました。城跡で紅梅が咲いていました。10年以上前に遠来の客を案内して町を歩いたのも同じ頃でしたが、その時に梅が咲いていたかどうか全く覚えていません。寒中の古い町は素っ気ない印象だったのではないでしょうか。
もう少しすれば町中の家々に雛飾りを飾り、散策しながら楽しんでもらえるイベントが始まります。そんな折にはまた訪ねてきてください。
先週、来年度から勤務条件が少し変わるという話がありました。現在は1日7時間15分の勤務ですが、4月からは6時間30分になるということです。仕事量が変わるわけではないので、さらに忙しくなるのか、果たして仕事が回るのか、心配になります。でも、体は確実に楽になるだろうと思います。
与えられた枠内で頑張る。できる事を精一杯やる。結局それしかないのです。
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