金曜日の晩、若松英輔さんのお話を聴きに行ってきました。
「この会場には500人ほどいらっしゃいますが、私の死者と皆さんそれぞれの死者も共にいらっしゃいます」
若松さんのおっしゃる『死者』とは、遺体のことではなく、肉体の身体はなくなり存在の次元が違って目には見えないけれども、実在している亡き人のことです。亡き人は私たちを気にかけていて、こうして講演会の場にも私たちと一緒に来ているのです。
若松さんは、講演の内容は記録が残るもので後でそれを読めばいいので、覚えようとしなくていい。それよりも話を聴きながら感じることを大切にとどめてほしいとおっしゃいました。本を読んだり話を聴いたりするとき、その内容を学ばなくちゃと思いがちですが、知識だけが増えても仕方がない。そうでなくて、どう感じるか、何を感じるかをちゃんと味わい、自分の言葉にすることが大事ということです。確かにそうです。
ここ何年か、私は自分の気持ちや感じを言葉にすることがとても難しいと感じています。言葉にできないものだから、「特に何も感じてないのかしら?」と思うことさえあります。
若松さんは、言葉や言葉以前のコトバを大事にされていて、例えば大切な亡き人に宛てて手紙を書くことを勧められます。上手く書こうとか、綺麗な言葉で書こうとか、誰かから聞いた素敵な文句を使おうとかするのではなく、自らの中に言葉を探し、探し当てた言葉を綴るようにして手紙を書けば、それが亡き人へ贈る最高のものだとおっしゃいます。
お話を聴きながら、胸に生まれる様々な思いや感じをゆっくり味わいました。それを言葉にする作業が本当は大事なんだと若松さんに教わりましたが、今は言葉が見つからなくて、人に伝えることが出来そうにありません。宿題です。
その晩は実家に泊まり、翌朝髪をカットしてもらって、神戸で診察。買い物をして帰りました。くたくたで荷解きをしているところに、実家の妹から伯母が亡くなったという知らせが来ました。母の姉で、長く病気療養していました。
妹たちが仕事を空けられないため、父と私がお参りに行くことになりました。今夜お通夜、明日お葬式で、再び実家に向かいます。
昨日は休日の家事にいそしみました。秋祭りで子供神輿や屋台の巡行もありました。いろいろと目まぐるしく、日にちや曜日の感覚が狂いそうです。
来年の手帳と新しい日記帳を準備しました |
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