2017年11月30日木曜日

どうぶつの森


 スマホアプリ『どうぶつの森 ポケットキャンプ』をダウンロードして遊んでいます(#^^#)

 以前子どものDSのゲームを借りて遊んでいたことがあり、懐かしい森の世界にまたはまっています。

 こつこつマイペースでできるところがいいのですが、やりだすといろいろと欲が出てつい時間を忘れてしまいます。楽しい♪

2017年11月23日木曜日

大掃除始めています



 この11月は一気に寒くなり、例年より早くこたつを出し、ストーブもつけています。縮こまってじっとしていたいところですが、そろそろ大掃除をしなければ・・・。

 先週は北風がぴゅーぴゅー吹いて気温も10度ぐらいまでしか上がらず、外で水を使う作業は断念して、食器の漂白をしたり電燈を拭いたりタンスの上の人形ケースを綺麗にしたりしました。

 今日も風が強いけれど気温はそこそこなので、外回りの煤払いや玄関の掃除をしました。去年外せなかった引き戸の格子を外して洗い、ガラスを拭き、玄関の中も全部外に出して掃き掃除。夏の靴を仕舞いブーツを出し、最後にクリスマスの飾りつけをしました。

 11月に大掃除を始め、毎週外で何かしら洗っていると、次第に水が冷たくなって季節が進んでいくのがよく分かります。それが今年はもう12月かと思う冷たさです。手も荒れるししもやけが出来たりもします。

 週末ごとに大掃除をコツコツ続けて、12月下旬までには終わらせるつもりですが、他に予定があってできない日もあるのでもう少しエンジンをかけないといけないかなぁ。毎週わりと丁寧に掃除をしているのですが、家具の裏や高いところなど日ごろはしないところも多いので、びっくりするほどホコリが出たりします。それだけに達成感もあります。

 とにかく、週末に雨が降らず、暖かいことを祈っています。

2017年11月18日土曜日

5回の研修に無事出席


 先月から今月にかけて計5回にわたり、市の登録手話通訳者の現任研修がありました。そのうち4回は平日の晩で、仕事を終えてから参加し、最後は今日(土曜日)の午前中で、早朝地区の公民館の掃除に出た後で出席しました。

 手話の勉強を始めて25年ほどになります。当地に引っ越してきてからは勉強にも手話サークルやろうあ者との活動にも熱を入れて取り組みました。その頃は仕事をしていなかったので、平日休日夜間を問わず勉強会や研修会、大会にもどんどん参加しました。その頃学び、吸収したことが土台となっています。

 しかし、その後うつになり、手話活動から離れざるを得なくなりました。病状が軽快しても、手話の勉強や活動は脳を酷使して疲れるので、再燃の心配が離れず、体調を維持する自信が持てなくてなかなか戻れなかったのです。

 そのうち仕事をすることになり、平日昼間のサークルや手話通訳に行けなくなりました。働きながら手話活動をしている人は、夜間の手話サークルに所属し、休日に勉強や研修に行くのですが、私は仕事だけでぎりぎり限界なのです。仕事ができるまでに回復したのなら手話にも戻れるでしょうと言われますが、両立はとても無理です。

 だから、私の手話の家は土台はしっかり出来ているけれど、その上に建築することができないまま年月が過ぎているのです。

 今回、現任研修ということで「これだけは這ってでも出席しなければ」と覚悟して頑張りました。バリバリ学んでいた頃にたくさん本も買いましたが、それから20年近くが経って理論も進み法律も変わっています。この際一から学び直しだと思い、最新の本を買いました。

 5回の研修は、手話の魅力を思い出し、手話が好きだという気持ちを再確認することができました。勉強を続け活動を続けるためには好きだけではだめですが、一番底に好きという気持ちがあるのは私の強みだと思います。これからも私なりのペースで進んでいきたいと思っています。

2017年11月13日月曜日

ルミナリエの設置も進んでいます






 11月に入ると、年内に神戸に行くのはあと何回・・・となってくるのですが、年末に向けて買い物などもあり、しっかり予定を立てて出掛けます。

 ルミナリエの設置も進んでいました。今年は神戸開港150年の記念でデザインがずいぶん変わっています。灯りが点いたらどんな感じかしら。

 今日はニュースで世界一のクリスマスツリーの木が神戸港に陸揚げされたとのこと。それも合わせて楽しみです。




 

2017年11月12日日曜日

初めてのショートステイ


 おばあちゃん(夫の母92歳)、最近は調子の良い時と悪い時の波が出てきました。良い時はトイレにも行け、ご飯も好きな物しか食べないものの自分で箸を持って食べることができます。デイサービスに周囲1回夫の送迎で行き、入浴もそこで入れてもらっています(気が向かない日は入りません)。

 ですが、調子が悪いと幻覚が出て、子供がたくさんいると言ってその子供に向かって一晩中しゃべる続けたり、床に水が流れている、壁に虫がいると騒いだりします。幻覚が出ているときは食事もとらず、トイレの場所が分からなくなり、連れて行こうとすると文句を言ったり、気が付かないとベッドのそばで下着を脱いで排尿してしまったこともありました。

 ケアマネさんに電話すると、すぐに来てくださって、病院に一緒に行ってくださいました。検査の結果、認知症が進行するような異常はないが、幻覚に対処する薬を処方していただき、要介護認定の見直しの意見書を書いて下さることになりました。

 こんな状態では夫が家を空けることができないので、ショートステイの利用を勧めて下さり、デイサービスと同じ施設にお世話になることになりました。

 その初めてのショートステイで、先週の金曜日におばあちゃんを預けて、久しぶりに夫が帰ってきました。もともと自治会の用があっての帰宅でしたが、無事預けられるかどうかわからないために代理の方を頼んでもらっており、土曜日は出なくて良いことになりました。今日は朝早くから昼まで出て、午後はおばあちゃんちで仕事ができるようにプリンターを買いに行き、今夜もう一晩家で過ごして明日朝ショートステイに迎えに行き、認知症の病院に予約があるので連れて行くという段取りでした。

 ところが、晩の9時頃、夫の弟のお連れ合いから電話があり、「施設からおばあちゃんが騒いで手におえないので引き取ってほしいと連絡があり、これから迎えに行きます」とのこと。夫は予定を切り上が慌ただしく岡山に向かいました。

 先ほど夫より無事着いたと電話があり、施設で大きな声を出して他の人に迷惑なので・・・と言われ、義妹が連れて帰ってさっきまでみてくれていたそうです。今おばあちゃんは「ご飯を食べてない」と言って、レトルトパックのご飯と即席みそ汁を食べているとのこと。

 齢を取るって大変なことだとつくづく思います。

2017年11月5日日曜日

穏やかで暖かい


 今日も晴れて気持ちの良い一日です。

 一日家事だけをして、夕暮れを迎えます。時間があっという間に過ぎていくのはどうしたことでしょう。

 このブログに移転してちょうど1年。早いものです。こうして年月が経ち、おばあさんになってしまうのかな。


 『感謝』 加藤和彦・坂崎幸之助(YouTube)


 今日の残りの時間をかみしめて過ごしたいと思います。

2017年11月4日土曜日

東大寺は広かった!

 3連休の初日、日帰りで奈良に行ってきました。とても暖かく気持ちいいお天気でした。


  
 6月に続いて、後期の『興福寺 阿修羅 天平乾漆群像展』 へ。意外と空いていて、御仏とゆっくり対面することができました。

 その後、東大寺へ。小学校の遠足以来・・・。遠足では大仏殿しか行かなかったのではと思います。実は東大寺はとても広く、お堂や仏様など見どころもいっぱい。

 
南大門
鏡池から中門・大仏殿を望む
大仏殿
  南大門も大仏殿も、その大きさに驚きます。

大仏
大仏殿に入ってきた天平装束の行列

 ちょうど今、正倉院展が開かれていますが、正倉院の公開もしていました。こちらも大変大きな建物でした。

 
 東大寺創建当時から建っていた転害門では、地元のガイドさんが説明してくださいました。

転害門
  イチョウが黄に、ナンキンハゼが赤に色づき始めています。




 三月堂の御仏とゆっくり対面し、最後に二月堂からの夕日を。



 鹿もいますいます。




 
 東大寺は聖武天皇が幼くして亡くなった基王の菩提を弔うために発願し創建された寺院から始まり、鎮護国家のために大仏の建造を行ったほか、それぞれに由緒のある寺院を吸収して今の広大な寺域になりました。平家の焼き討ちに遭い、火災で焼失し、明治には廃仏毀釈にも遭いながら、何度も再建されて今に続いています。

 そこには天平時代から今に至る、発願の思い、建物の建造に尽くした思い、諸仏を造った仏師の思い、再建にかける思い、そうしたくさんの祈りが込められています。

 人々の祈りを感じながらの秋の一日でした。



 ◇おまけ◇ この一日、すごく歩きました!!


2017年11月2日木曜日

「恩おくり」本郷由美子さんのお話

 先週、本郷由美子さんのお話を聴きに行きました。本郷さんは2001年に大阪教育大学附属池田小学校児童殺傷事件で小学校2年生だった娘さんを亡くされています。

 事件後、葬儀などのこと、捜査や裁判のことなど様々な手続きが押し寄せ、気が休まることがなかったそうです。その一方、目に映るものの色彩が消えるほどの悲嘆に暮れました。生きることもできない、死ぬこともできない・・・という時間を過ごされたということです。

 そんな中でグリーフケアということを知り、本を読んで学び始められました。警察の捜査によって、、教室で刺されて瀕死の傷を負った娘さんが、廊下に出て出口に向かって68歩歩いて力尽きたことが分かりました。その現場に毎日通い詰め、娘さんが最後まで希望を捨てず歩き続けた68歩のメッセージから、生きる力を取り戻されました。

 同じように事件で子どもさんを亡くされたご両親との出会いから、言葉ではない寄りそいによって力づけられるという体験をされています。

 その後、精神対話士の資格を取り、上智大学グリーフケア研究所専門コースで学び、支援される側から支援する側へとなり、遺族ケアや終末期のケア、東日本大震災で被災された方のケア、いのちの授業などの活動を続けておられます。

 支援される立場だった時に受けたご恩を、今悲嘆の中にいる人に恩おくりする・・・。その思いで活動されているということです。

 
 生きたいと願って出口に向かって歩き続けた優希さん。どんな人でも、いのちの最後の時まで、生きようとするものだと私も思います。意識するしないに関わらず。その最後の願いを引き継ぎ、引き受けて残された者は生きていくのだろうと思います。

 本郷さんほどまっすぐに活動することはなかなかできませんが、たとえ少しでも、恩おくりができればいいなと思います。