2022年3月20日日曜日

寒の戻りからお彼岸へ


 龍野ひなまつりで展示されていた大変古いお雛様です。たつの市龍野伝統的建造物保存地区の一角で出会いました。

 4月下旬の暖かさから一転、寒の戻りでまたセーターを着込んだりしていました。お彼岸は妹が車で父と叔母をお墓参りに連れて行くことになっていましたが、10日ほど前に父が入院してしまいました。友達と自転車でツーリングしていて、転んで背骨を骨折したらしいです。と言っても元気で、コルセットをしてトイレなども歩いて行っているそうです。

 なのでお墓参りは我が家が行くことになりました。お天気と相談して21日に行くことに決め、農協で花を買って準備しています。もう少し暖かかったら良かったのですが、雨さえ降らなければ良いかと思っています。

2022年3月13日日曜日

急に春めいて








 実家を建て替える際、母が育てていたクリスマスローズの株を掘り上げて我が家で預かり、株分けして育てていました。実家に返した方は2週間ほど前に花が咲いたと妹から知らせがありましたが、我が家の鉢はゆっくりしていて、ようやく蕾が開きました。

 龍野城の梅は例年より遅く見頃を迎えていました。来週末までは龍野ひなまつりも開催しているので、ゆっくり町歩きを楽しめそうですよ。

 先週木曜日にコロナワクチン3回目の接種を受け、翌日は前もって仕事は休みを取って、副反応の発熱や体調不良と付き合いました。土曜日には何とか熱が下がり予定通り神戸に行きましたが、本当は行きたかった港にも行かず(練習帆船日本丸の出航がありました)買い物をして帰りました。


 たねやの桜餅、今年はいただきました。白い豆の粒あんでした。

 履歴書を書き面接を受けて4月からも同じ仕事を続けられることになりました。相方も異動がなく、本人には気の毒だけれど(通勤が遠くて大変なのです)、私は嬉しい。異動があると年度初めの負担が大きいのですが、それがないだけでなく、もう少し今の相方と一緒に働きたいと思っていたので。

 実家の父はまた入院する羽目になりました。自転車で走っていて転倒し、腰椎を骨折したらしいです。救急車で運ばれてそのまま入院し、コロナで面会もできません。まあ病院にお任せするよりありません。父の米寿の祝いはなかなかできませんねぇ。

2022年3月6日日曜日

全国水平社創立100周年、『橋のない川』に寄せて



 3月になりずいぶん暖かい日もあります。八重のクリスマスローズが咲き始めました。福寿草も葉を伸ばしてきましたね。

 全国水平社は1922年(大正11年)3月3日に京都市で創立大会が開かれました。その時に採択された水平社宣言は「日本で初めての人権宣言」と言われています。それから100年が経ちました。触れる者の胸を熱くする「人に世に熱あれ、人間に光あれ」と結ばれた水平社宣言は、残念なことですが今もなおその途半ばであると思わずにはいられません。

 私の生まれ育った所は、近くに被差別部落、沖縄出身者のコミュニティや在日朝鮮人の多く住む地域があり、人権教育に熱心に取り組んでいました。学校で学ぶこと、おぼろげに知る同級生の境遇、父や祖母の持つ差別意識。周囲の価値観の違いを見つつ、自身の人権感覚を育てていったと思います。

 家で定期購読していた『暮しの手帖』誌に、住井すゑさんが「牛久沼のほとり」という題で随筆を連載しておられました。それを読んでいたのがきっかけだったのか、『橋のない川』を読み始めたのは中学生の時でした。全国水平社創立を時代背景として、奈良県の被差別部落で生まれ育った誠太郎・孝二とその家族を描いた小説に引き込まれ、夢中で読み進めました。

 二人が全国水平社創立に関わっていくあたりは読みながら胸の高鳴りが抑えられなかったのを思い出します。私は『橋のない川』を読んで、学校で学んだ人権教育をしっかりと根付かせることができたと思います。

 「もし入院することになったら読みたい本」がいくつもあるのですが、『橋のない川』もそのうちの一つです。ただ、昔の文庫本は字が小さく、今の私には読みにくいのが難点です。新しい版は字が少しは大きいでしょうか。買い直して持って行かねばならないかもしれません。