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2025年12月31日水曜日

毒吐き(2)

大みそかになると思い出すことがあります。一時、夫が義父母を呼び寄せ7人で暮らしていた時期がありました。その時の大みそかのことです。

年末に子どもたちを連れて実家に餅つきに行き、すぐに自宅に戻って大掃除をしたり、当時はおせち料理も少しは作っており、大みそかは早朝から座る暇もない忙しさでした。夕食を作る余裕がないので、お寿司の盛り合わせを買ってきました。夜中の12時に年越し蕎麦を食べるのだから、とりあえず簡単でいいかと考えたんですね。

義父母に夕食ができましたと声を掛けましたが、ダイニングに出てきたのは義父だけでした。義母は食欲がなくて食べたくないと言っているが心配しなくていいと義父が言います。とりあえず子どもたちと義父で夕食をとりました。

そして日付が変わるころに年越しそばを作り、義父母を呼びに行くと、義父が部屋で食べると運んでいきました。

元旦、お雑煮を作りあけましておめでとうございますと声を掛けましたが、またまた義父だけが出て来て、義母は調子が悪いらしいからいいと言いました。昨日からほとんど何も食べていないようなので、煮麺(にゅうめん)を作って、これなら少しでも食べられませんかと義父母の部屋に持って行きました。ところが義母は要らん要らんとそっけなく、義父がありがとうと受け取ってくれました。

あとで空になった器をキッチンに持ってきた義父が言うには、義母は素麺が嫌いで、口に入れるだけで吐き気がするようだとのこと。煮麺は気を使った義父が代わりに食べてくれたらしい。しかも、昨夜夕食を食べなかった理由は、大みそかといえばすき焼きと決まっているのに、違ったから腹が立ったからだったというのです。

大みそかにすき焼きを出さなかったことで気を悪くして、ハンガーストライキ。体調が悪いならと喉越しの良いものをと作った煮麺は吐き気がするほど嫌いな食べ物だった。知らなかったとはいえ、最悪でした。

いまだに大みそかが来ると必ず思い出す私は、実に執念深い性格です。

 

2022年9月25日日曜日

器道楽


 日中はまだ30度近くになる日もあり、陽射しにも力がありますが、朝晩はめっきり涼しくなりました。空には秋の雲が。

 先々週の夏期休暇を利用して3泊4日でおばあちゃん(夫の母)の遺品整理に行ってきました。義弟のお連れ合いと一緒にまずは衣類の仕訳と片づけから。「これ着てたよね」と言い合いながらも手は止めずに作業に没頭。福祉バザーに出せるものはよけて、ごみとして捨てるものはまとめ、他は資源回収へ持ち込みました。

 布団や毛布類が「なんでこんなにあるの?」と首をかしげるほど大量にありました。義弟が客用として2組貰ってくれて、私の妹が敷布団が欲しいとのことで4枚貰うことにしました。他は粗大ごみと資源回収へ。

 おばあちゃんは意外と捨てられない性質だったようで、以前居間で使っていたと思われる歴代のじゅうたんが2階に積まれていました。そのままだと粗大ごみになり捨てにくいので、ハサミで裁断してゴミ袋に詰めました。昨年実家の片付けをしていた時にポリカーボネイトの波板を裁断してゴミに出したのを思い出しながら作業。

 実家の片付けの時に既視感があると思ったのは、8年前の自宅のリフォームに際して家中ほぼすべてのものを選別し大量に処分したのを思い出したからなのですが、今回もまた同じような作業をしているわけで、廊下に積まれたゴミ袋までが似ています。

 物は違えど「なんでこんなものがこんなにあるの?」と思うところも同じです。おばあちゃんの場合はプラスチックの入れ物がそう。大小さまざま、百均からそうでない物まで出るわ出るわ。再利用できそうにないので処分です。

 おばあちゃんは器道楽で、岡山市の中心部の商店街、奉還町の専門店で買ったのか百貨店で買ったのか分かりませんが、いい器をたくさん持っていました。おじいちゃんも生きていた頃は大きな食器棚二つに様々な器が詰まっていました。泊りに行くと食事の支度を任されていて、どの器に盛りつけようかと楽しみだったものです。

 20年以上前に一度段ボール箱いっぱいの食器をもらったことがありましたが、その時に断捨離をして妹さんなどにも譲ったと聞きました。だから今残っているのはおばあちゃんが好きで手元に残していたものと日常使いに便利なもの。義弟のお連れ合いは何も要らないと言うので、遠慮なく好きな食器をいただいてきました。

 器好き同士で話が合ったかもしれないのに、おばあちゃんとそんな話はしたことがなかったな。「この器素敵ですね」とか「私これ好きです」とか言えば良かったなと今更ながらに。気持ちの通い合うことがない嫁姑で終わってしまいましたが、一つ共通の話題があったのかもと。本当に今更ですが。

 おばあちゃんの器は持ち帰った段ボールからまだ出せていません。この3連休も何かと忙しくて手が回りませんでした。手持ちの食器を少し整理して、おばあちゃんの食器を仲間入りさせようと思っています。


2022年9月11日日曜日

夏休みは岡山へ


 夫が2か月ぶりに自宅に帰ってきました。おばあちゃん(夫の母)の看取りのために実家に詰めていたのですが、亡くなった後は弟と相続の話をしたり手続きを始めたり、並行して実家の片付けを始め、忙しくしてます。

 夫が実家と自宅の行き来を始めてから10年ほどになります。近年は実家にいる方が長かったので、夫の荷物もずいぶん増えていました。それらを車に積んで何度かに分けて運ばねばなりません。おばあちゃんの遺品を片付ける中で、譲り受けるものもいくらかあります。今回はまず自分の荷物を運んできました。

 相続の手続きに必要な印鑑証明を取ったり、遠方の本籍地に戸籍謄本を取りに行ったりして数日を過ごし、また岡山へ戻って行きました。

 四十九日が過ぎて納骨をしたら、実家をリフォームして弟が住んでくれることになりました。そのためには片付けも手続きも急がねばなりません。弟夫婦も来てくれていますが、私も今週の後半の夏期休暇を利用して実家へ行って手伝うことにしました。

 まだしばらく暑い日が続きそうです。気が抜けない日が続きますが、何とか乗り切れますように。

2022年9月4日日曜日

おばあちゃんの旅立ち


 8月30日におばあちゃん(夫の母・97歳)が旅立ちました。2日ほど前からいつでも連絡が取れるようにと言われていて、29日の晩に危篤との知らせがあり、駆け付けた夫の見守る中、眠るように息を引き取ったそうです。

 享年98歳。大正に生まれ、昭和、平成、令和と生き抜いた生涯でした。2000年におじいちゃんが亡くなった後一人暮らしを続けてきましたが、次第に認知症が進み、10年前からは夫が同居して世話をしてきました。2018年に自宅で転んで骨折し入院。車いすになって自宅での生活が困難になり、老健を経て今の施設にお世話になりました。

 私たちが最後に会えたのは2019年のお正月。札幌の娘も大阪の長男も一緒に、家族5人で特養に面会に行きました。認知症が進んだおばあちゃんはもう誰のこともわからない様子でしたが、娘には少し反応したような気がします。程なくしてコロナ禍となり、夫でさえ面会ができなくなってしまいました。

 それでも特養では変わらぬ日常を職員のみなさんが守ってくださって、施設だよりに時折満面の笑みの写真が載りました。おばあちゃんに家族と会えないさびしさや住み慣れた家で過ごせない悲しさがあったのかどうか知ることはできませんが、自宅では味わうことのできない楽しい一瞬や生き生きとした時間があったことは間違いなく、おばあちゃんの最晩年を支えて下さった特養のみなさんには感謝してもしきれません。

 看取り介護に入ってからは特別に面会も許され、夫は毎日会いに行き、夫の弟夫婦も別れを告げることができました。介護ノートにはわずかに口にできたものについても記してあり、おばあちゃんが最後に食べられたのは夫が差し入れをしたハーゲンダッツのアイスクリームだったそうです。

 遺影は特養で行事の時に撮ってくださっていた写真を職員さんにお願いして集めていただいた中から選んだ90代後半の笑顔ですが、棺のおばあちゃんはまだしっかりしていた時分の張りのある表情に戻っていて、本当に若返って眠っているみたいで不思議でした。お骨になったおばあちゃんを4年と5か月ぶりに自宅に連れて帰りました。

 これからいろいろな片付けをしていかねばならず、急に忙しくなりました。おばあちゃんが良しとしてくれるように後始末ができたらと思います。 

2022年8月28日日曜日

秋が来た

 セミの鳴き声が聞かれなくなり、1週間ほど前から日が暮れると虫の音がにぎやかになりました。

 昨日まで蒸し暑い夏だったのに、今日はカラッと爽やかな秋の空気に変わりました。

 おばあちゃん(夫の母・97歳)は6月にがんが見つかってから特養で看取り介護を受けています。血中酸素濃度が次第に下がっているので、酸素吸入だけしています。食事もとれなくなり、水分摂取も減っています。

 施設はコロナ感染防止のため原則面会はできませんが、看取り期になって一日10分だけ居室での面会ができるようになりました。夫は実家に詰めて毎日会いに行っています。ほとんど眠っているし、目を覚ましている時声をかけてもきょとんとしているそうですが、直接会えて手を握ったりできることで目に見えない何かが交流しているのではないかと思います。

 がんが暴れている様子はなく、老衰なんだろうなと思います。

2022年6月19日日曜日

おばあちゃんの病気


 おばあちゃん(夫の母 97歳)は実家の近所の特別養護老人ホームで穏やかな暮らしをしています。時折ホームの新聞に笑顔の写真が載って安心していました。

 半月ほど前から体調を崩し、病院で検査をした結果大腸がんであることが分かりました。今後の方針が立つのはこれからですが、痛みや苦しみがなくこれからも穏やかな毎日が送れるようにと願っています。

 
 21日が夏至ですが、昨晩ろうそくの明かりでゆったりと過ごしてみました。

2020年1月6日月曜日

明けましておめでとうございます

  
 ご挨拶が遅くなりました。無事新年を迎えることができ、いつもより長い年末年始休暇を目いっぱい楽しみ、今日仕事始めでした。


 31日に娘と長男が帰って来て、年が明けて岡山へお墓参りとおばあちゃん(夫の母94歳)に会いに行きました。おばあちゃんは昨年1月から特養に入所しています。寝て過ごすことが多いですが、食事はちゃんと食べ元気にしています。

 一人一人おばあちゃんに話しかけましたが、誰のことも分からないようでした。唯一娘のことは「Yちゃんか?」と言いましたが、その後話が続かず、以前だったら「まだお嫁に行かないのか」などと必ず言ったものですが、それもなくて、なんだか寂しい気がしました。

 その夜、実家で家族5人すき焼きを食べ、夫を残して家に帰りました。

往きはみずほ

帰りはさくら

  
 2日はちょっとゆっくり起きて、朝湯につかり(ほとんど昼でしたが)、息子たちと買い物に行ってリクエストのアンコウ鍋をしました。
 



 3日は娘と二人で神戸に行き、妹と会ってランチ。その後生田神社に初詣。おみくじは吉で、学問が良かったのでホッとして。3が日にお詣りすることなんてないので、賑わう参道にお正月気分を満喫しました。

3épiceのランチ



  4日はお雑煮でなくビゴのフランスパンを焼いて紅茶を淹れてモーニング。いつもの週末の掃除を次男とし、布団を干し、洗濯も張り切ってし、晩は早めにして長男が帰っていきました。


 5日は娘が帰る前に姫路城に行こうかなと言うので、私と次男もついて行きました。平成の大修理が終わってから大手前公園や三の丸広場までは何度か行っていますが、城内へ入るのは初めてです。

 間近で見る姫路城は本当に「カッコイイ!!」 ボキャブラリーが貧困やわ!と自分でツッコミながら、「カッコイイ! うわぁカッコイイわぁ」とこれしか出てこない。写真を撮りながらじっくりと見学し、その後ベーカリー燈(ランプ)でハンバーガーを食べて、娘は帰路につきました。
 
菱の門を入ったところ

西の丸から天守閣を望む



  めちゃくちゃアクティブなお正月休みでした。この休みにじっくりしたいと思っていたことはほとんどできませんでしたが、もうしょうがないです。とにかく仕事と勉強から離れて楽しめたので良かったことにします。

2019年8月12日月曜日

この夏

 久しぶりの更新です。暑くてPCのある2階にいられないのと、なかなか時間がないのとで・・・。朝7時ごろから庭でクマゼミがわんわん鳴き、日中は連日35度以上の猛暑日。8月になり、立秋を迎え、お盆が来ても、夏の盛りです。


 さてこの夏、7月ですが、ヒグチユウコ展に行きました。ヒグチユウコ、ほとんど知らなかったのですが、なかなか面白かったです。とっても緻密に描き込まれた不思議な人や動物に魅了されました。




 花火大会は例年通り川原で鑑賞。近くでゆったり見られるのが田舎ならでは。




 赤穂に出張に行き、前にも行ったあこう蕎麦衣笠でランチ。こちらのお蕎麦本当に美味しいです。



 あまりに暑いので小さな扇風機を買ってしまいました。充電式で、意外と強い風が来ます。どこにでも持って行けるので、キッチンで、リビングで、トイレにも・・・。



 昨日は岡山のお墓参りに行ってきました。さすがお盆休みとあって、いつも混まない電車もいっぱいで、行きも帰りも立ちっぱなし。一緒に行く予定だった次男が体調が悪く一人だったので、新幹線にしたら良かったかしら?とチラッと思ったほど。

 午前中にお墓参りをし、ランチを食べておばあちゃん(夫の母94歳)のいる特養へ行きました。まだできたばかりの新しい施設で、とてもきれいで気持ちがいいです。介護職の人も「今日はこうでしたよ」と声をかけて下さいました。
 おばあちゃんはお昼起こしても「眠い」と起きなかったそうで、ずっと寝ていました。ふっくらとして顔色もよく、健康そうでした。

 
 さて、今日も暑くなりそうです。手話サークルの周年行事の準備をしなければなりません。手話劇の台本はやっと完成し、今度は記念誌のサークルの歴史をまとめるところです。暑いけれど、頑張ろう。

2019年1月26日土曜日

大寒ですね


 朝から雪がちらちらしたり、日がさしたり、また雪、今度はこんこんと降ったりの一日です。夕方からうっすら白くなっています。

 仕事の大きなヤマを越えて週末です。長い時間をかけてようやく落ち着くところに落ち着いた案件。でもこれがゴールではなくスタートなのです。まだまだじっくり寄り添っていかなければいけないなぁ。

 
 年賀状のお年玉くじで、切手シートが3枚当たりました。去年は一枚も当たらずだったのですが、まだラッキーの続きがあったのかしら。

 そして、おばあちゃん(夫の母93歳)が特養に当たりました。老健で待機すること半年、自宅に近い第一希望の特養に来週入所します。10か所ぐらい希望を出した中で一番いいところに入れることになりました。これは私の運ではありませんが、本当に良かったです。

 
 妹が山陽百貨店に催事で来ているので、仕事が終わってから会いに行ってきました。妹の仕事が終わってからご飯に行きました。年明けにいつも神戸でランチをするのですが、今年は妹の仕事が忙しく会えなかったので、楽しみにしていました。

 姫路駅前の天ぷら海鮮 神福にて。たまには揚げ物!  美味しかったです。



2018年10月8日月曜日

心残りないように


 台風一過の青空の下、秋祭りの屋台が通り過ぎました。


 さて、おばあちゃん(夫の母93歳)は老健で穏やかに日々を送っています。夫が毎日会いに行っても、寝ている時が多いようです。

 そんなおばあちゃん、いつも「ヨッチャンは」と夫を呼んでいるようで、夫が行くと施設の人が「ヨッチャンが来てくれましたよ」とおばあちゃんに言われるとか。

 ところが先日のこと、「お母さんが『サトシ君、マコトちゃん』とおっしゃってましたよ。初めて聞くお名前ですね」とのこと。

 サトシは夫の弟、マコトは夫が生まれる前に当歳で亡くなった兄の名前です。

 実はおばあちゃんとサトシさんは折り合いが悪く、もう何年も顔を合わせることもないまま過ぎているのです。おばあちゃんは今は元気ですが、高齢なのでいつ何があってもおかしくありません。このままおばあちゃんが亡くなってもいいのかなぁ、和解するのは今しかないんじゃないかな、それを取り持てるのは夫だけじゃないかな・・・とずっと思っていた私です。

 おばあちゃんが『サトシ君』と呼んでいたという話がきっかけになって、夫がようやくサトシさんの家を訪ね、「おふくろの見舞いに行ってやってくれないか」と話をしました。

 サトシさんは人生の節目節目でおばあちゃんに進路を無理強いされたことや、お連れ合いがおばあちゃんに尽くしているのに感謝もない(気に入らない嫁と冷たく当たる)などが積み重なり、認知症を発症したおばあちゃんが「お金を取っただろう」と家に乗り込んで来て、近所に筒抜けの大声で怒鳴り散らしたことが決定打となって、「親子の縁を切る」と思い定めていたそうです。

 はじめは「他人だから見舞いに行かない」とかたくなだったサトシさん、最後には「兄貴の顔を立てて一度だけ行ってもいい」と言ってくれました。

 一度のお見舞いで和解はできないかもしれませんが、今の歳がいって弱ったおばあちゃんの姿を見て、どんな方向か分からないけれどサトシさんの中で折り合いがつけばいいなと思います。

2018年6月10日日曜日

割り切れない家族の気持ち


 おばあちゃん(夫の母93歳)が老健に入って半月ほど経ちました。当初、他の入所者に迷惑をかけるかもしれないからと1人部屋を希望し入所しましたが、別段問題がないので4人部屋に移って欲しいと施設側から言われ、今は大部屋にいます。

 日中を皆で過ごす部屋に車いすで連れて行ってもらうのですが、自室に帰りたがってベッドで過ごすことが多いようです。

 夫は毎日会いに行き、洗濯物を持って帰っています。この前会いに行ったときにちょうどおやつの時間で、自室までお茶とおやつを持って来て下さいました。おやつを食べ、「お茶飲むか?」と訊くと、「コーヒーやったら飲むけどなぁ」とおばあちゃん。

 家に連れて帰れたら、飲みたい時にコーヒーを飲ませてあげられる。好きだったシュークリームも食べさせてあげられるのに。

 そう思うと、施設にお願いして良かったのか、本当に家に連れて帰れないのか、という気持ちになるようです。

 好きな時に好きな物だけを食べさせていたら栄養状態が悪くなり体力が衰える。トイレはポータブルで何とかなっても、お風呂に入れられない。着替えも毎日させるのは難しい。家に帰ったらそんな問題が出てくるのはわかっています。

 それでも、おばあちゃんのささやかな願いをかなえてあげられる暮らしをさせてあげたい。家族の気持ちは複雑です。

2018年5月20日日曜日

病院から老健へ


 先週は梅雨時のような蒸し暑さでしたが、金曜夕方から土曜未明までの嵐の後、この時期らしいさらりとした空気に入れ替わりました。

 昨日は地元ろうあ協会の周年記念行事に参加。帰宅後掃除をし、今日は布団干しや買い物に行き、ゆっくりしています。

 
 おばあちゃん(夫の母93歳)は今週末に病院から老人保健施設に移ることになりました。

 2か月入院してリハビリをしたのですが、歩けるようにはならず、トイレも車いすで連れて行って紙パンツを脱がせて座らせ、終わったら穿かせて・・・と介助が必要です。在宅になることも想定して、入院後半にはポータブルトイレでの介助を練習したりしました。トイレはポータブルを利用するとしても、お風呂へ入れることは不可能で、かといってデイサービスには入院前もほとんど行けなかったし、家に帰ったらたちまち困ることが想定されました。食事も気ままに摂っていた(考えて作っても食べようとしなければ仕方がなく)ので低栄養状態でした。

 特養は8か所申し込み、ケアマネさんの助言で老健にも申し込み、病院のソーシャルワーカーさんのお世話で療養型病床のある病院への転院も段取りしていただいていました。その中で老健に入所できることになりました。そこで特養の空き待ち期間を過ごすことになります。

 要介護度は3から4になりました。

2018年4月14日土曜日

今度は復活できそうになくて


 おばあちゃん(夫の母93歳)が大腿骨を骨折してひと月ほどになります。救急病院で手術を受け、10日ほどで地域包括ケア病棟のある病院へ転院しリハビリが始まりました。

 しかし、認知症のためリハビリに取り組む意欲がありません。というか、今の状況を多分理解していないのでしょう。トイレに行きたがって「起こしてくれ」と言うけれど、リハビリしなければ歩けるようにならないことが分かっていません。リハビリに行く時間にお迎えが来ても、ベッドの柵をぎゅーと握りしめててこでも動かないような状態です。

 今の病院に移ってわずか10日ほどで、主治医の先生から「歩けるようにはならないでしょう。在宅に戻るのは無理です。入所施設を探すことをお勧めします」と言われてしまいました。

 特別養護老人ホームはどこも入所待ちが100人以上いるといわれています。岡山県の施設4か所、我が家の近くの施設3か所に入所申し込みをしました。私や次男が訪問して見学したり申し込み書をもらってきた施設は、いずれも親切に対応していただきました。

 今の病院から退院しなければならないリミットまでに、どこかに入所が決まればいいのですが、もし決まらなければ老人保健施設に一時的に入所して空きを待つことになりそうです。

2018年3月24日土曜日

暖かくなりました


 昨日神戸市で桜の開花だそうです。当地はもう一息ですが、来週の桜まつりの頃にはきっと満開近いでしょう。

 おばあちゃん(夫の母93歳)は大腿骨骨折で入院していますが、手術が無事終わり、経過も順調です。今いる救急病院は2週間しか入院できません。その後はリハビリのため地域包括ケア病棟のある病院に転院することになっています。そこは60日いられるようです。

 高齢なのでリハビリでどこまで日常生活動作能力が回復するか分かりません。在宅に戻れるかどうか、何とも言えない状況です。

 今回は、最初から個室に入りました。おばあちゃんは認知症のために夜中に騒いだり、幻覚妄想のため大声を出したりするので、相部屋では迷惑をかけることが目に見えていました。

 前に入院したリハビリ病院では、おばあちゃんが騒いで真夜中に夫が呼びつけられたことがありました。夫が行っても落ち着くわけではないのですが、夜中は看護師の配置も少なく、おばあちゃんに手を取られると困るということだったのでしょう。

 入院も大変ですが、デイサービスやショートステイを利用できないでいたので、夫は少し休息ができるのも事実です。

2018年3月18日日曜日

困難が次々と



 今年は花粉の飛散が多いといわれています。内科で飲み薬と点鼻薬を処方してもらい、不快な症状は抑えられていますが、匂いがほとんど分からなくなっています。満開の沈丁花、こんなに近づいても匂いませんでした。

 その内科で、血圧の数値がいいので軽い薬に変えましょうと言われたのが2月。そうしたら頭痛や首肩背のこわばり、重苦しい痛みが出て来て、まじめに血圧を測るようにしたらやはり少し高めです。

 先生は「そんなに高くないですよ」とおっしゃいますが、体調が悪いので何とかなりませんかと相談しました。「変えた薬の量を増やすか、元の薬に戻すか、どうしますか?」と聞かれ、量を増やす方を試してみることにしました。これで血圧がもう少し下がりすっきりすればいいのですが、まだ症状が取れず様子見中です。

 
 先週、4月の人事異動の内示があり、相方が異動することになりました。2年間質・量ともに良い仕事ができたのは彼のおかげです。4月、着任するのはどんな人でしょう。高いところを一緒に追求できる人であればいいな。しかし、仕事を覚えるまでの間は私がカバーして頑張らねばならないので、4月は相当大変です。

 またもう一人、月数日の勤務ですが重要な仕事を担ってきた方も退職されます。この方からはいろいろと専門的な助言をもらったり教えてもらったりしました。これからも同じ地域で近縁の仕事をする同士としてご縁は続くと思いますが、定期的に会う機会がなくなるのは寂しい気がします。

 
 そして、おばあちゃん(夫の母93歳)が大腿骨骨折で入院しました。この1~2年しんどいのかすることがないのか、食事とトイレ以外はベッドに寝てばかりいて、筋力が衰えて最近歩きにくくなっていたようです。トイレに行き渋っているおばあちゃんを夫が支えて連れて行く途中、足が前に出なくてバランスを崩し、支えきれなくなって二人とも転倒しました。

 手術をしなければ回復には時間がかかり、回復しても歩くことはできません。手術すれば歩けるようになる可能性はあります。高齢なので他に病気があれば手術に危険が伴います。幸い内蔵の病気は特にないと思われ、手術をする方向で進めています。ただ、認知症のおばあちゃんが手術後のリハビリに取り組めるのかどうか、衰えた筋力が戻って歩けるようになるのか、先が見えない状態です。
 

2018年1月28日日曜日

女ジャイアンの介護は難しい

 おばあちゃん(夫の母92歳)、年明けに風邪をひきました。年末から風邪気味だったのですが、1月になって夫ともども本格的な風邪ひきさんになり、咳がひどく熱も出て、食欲もなくなりました。

 夫はちょっとした風邪気味でもおばあちゃんに市販の風邪薬、それもかなり強いものを飲ませているので、「高齢者は薬の代謝機能が落ちているので、市販薬を安易に飲ませてはいけない。効きすぎてふらついたり、体に負担がかかる」と何度も言って、受診を勧めました。

 ところが、当のおばあちゃんが「医者には行かん、寝てたら治る」と頑として拒否。調子が悪ければ絶食して寝て治すという昔ながらの対処法が染みついているのです。だから少しでも食べるよう勧めても「要らん」と食べず、おかゆならのどを通るかと出したら「嫌いなものを作った」と怒る始末。

 仕方なく夫は自分も熱が出て咳がひどいので自分一人で近くの内科に行きました。幸い夫はインフルエンザではなく肺炎にもなっていなくて薬を出してもらいました。その時に先生に「高齢の母親がやはり風邪で調子が悪いがどうしても連れて来ることができないので往診してもらえないか」と頼みました。先生は「一度も受診したことがない人には往診できないので、とにかく一度連れて来て下さい」と言われました。

 それで何とか連れて行こうと説得したのですが、「行かん。寝てる」の一点張りでてこでも動きません。おばあちゃんは生命力があって3週間ほどして何とか症状が軽快し、食事も一日1食だけなら何とか食べるようになってきました。


 しかし、このままではこの先命にかかわる事態になっても受診させることは難しく、万一の場合は警察沙汰になり行政解剖されてしまうことになります。それを避けるために救急車で病院に運べば、老衰であっても検査や積極的な治療を受けたいという意思表示になるので平穏な最期とは程遠くなってしまいます。

 そこで訪問診療を利用できないかケアマネージャーさんに相談しました。岡山市は在宅療養の先進地で訪問診療をする医療機関も多いと聞いています。訪問診療医が主治医になってくれれば、定期的な訪問で健康状態を見て、必要な処置もしていただけるし、お風呂に入れない、着替えをしてくれないといった困りごとも訪問看護を組み合わせて助けてもらえるのではないかと期待しました。

 しかし、現在週1回のデイサービスを利用しているので、「デイに行ける人が訪問診療を受けるのは整合性に欠ける」ということで、 両方を利用することはできない、訪問診療を導入するならデイサービスは止めることになるがどうするかという話になりました。

 デイサービスは主に入浴をさせてもらいたいために行っているのですが、それもおばあちゃんは「昨日入ったから今日はいい(本当は昨日入っていない)」とか何とか言ってほとんど入らないのです。とにかく頑として人の言うことを聞かない人なので、どうしようもありません。

 仕方なく自宅で入浴をさせることになりますが、自宅のお風呂は寒く浴槽のふちが高くて乗り越えられないために夫が引っ張り上げる必要があります。手伝いに行っても素直に聞くおばあちゃんではありません。「もういい、一人にしてくれ」などと手助けを拒み、仕方なしに外で待っていると体が冷え切ってからようやく外に出ることができる始末。これでは寿命を縮めるためにお風呂に入っているようなものです。

  それで夫は何とかデイでお風呂に入れてもらえる道を残したいと、訪問診療をあきらめることにしました。そうなると万一の時どうなるのかという心配が残ります。ケアマネさんから、かかりつけ医を作る(往診してくれる内科にとにかく一度受診させる)ことを助言されました。風邪は良くなっているのですが、しんどい時には絶対に動かないので、なんでもない今連れて行くことを考えています。

 ケアマネさんからは、病院に行かないとかデイでお風呂に入らないなどのおばあちゃんの問題行動に対して、夫が主体的にかかわる必要があるといわれました。デイに連れて行く時に、おばあちゃんが理解できないから、嫌がるからと「ドライブに行こう」とだまして車に乗せてますが、それをちゃんと「デイでお風呂に入れてもらおう」と言って連れ出すようにする、そういうことが大事なんだそうです。


 しかし、家族だからわかる問題の根本は、おばあちゃんが『ジャイアン』だということです。おばあちゃんはいつも人より上でないと気が済まないお山の大将だった人です。92年の人生で、親の言うことも聞かない、夫(亡くなったおじいちゃん)の言うことも聞かない、ましてや息子の言うことなんて聞くわけがない、それを通してきた人です。人に指図はしても、自分が指図されるなんて我慢できません。だから、いくら年をとっても、誰の言うことであっても、素直に「はい」と言わないのです。

 女ジャイアンのおばあちゃんに対して、これまで家族のだれも逆らったり意見をしたりしませんでした。言えばややこしくなるのでいつも周りが黙って穏便に済ませてきたのです。それが介護をされる立場になった今、ものすごく夫を困らせています。

 ケアマネさんやデイの職員さんから見たら「頑固なおばあさんと気の弱い息子さん」かもしれませんが、おばあちゃんの本性は誰にも負けたくないジャイアンなんです。それが困難の真の原因だと思います。そういう人にどう対処するか、経験から教えていただきたいのです。

2018年1月3日水曜日

あけましておめでとうございます


 新しい年を迎えました。三が日はおおむね晴れて、キリッと引き締まった冷たい空気もお正月らしいと感じます。

 娘と長男が帰省して迎えた元旦。岡山のおばあちゃんちに皆で年始に行き、そこで家族が全員集まりました。

 おばあちゃんに久しぶりに会った娘でしたが、開口一番「結婚しないのか」と言われ、「結婚して子どもを作らないと、年取ったら困る。弟に迷惑かけてきょうだい仲が悪くなる」とおばあちゃん節全開で、あーあ。

 次男は姉とよく似たやさしい顔立ちですが、「ホンマに男か? 男の子はもっとたくましくきりっとした顔にならんといかん」と無茶なご注文。

 長男は甥の一人と間違えられて「前に会いに来てくれた、やさしい子や。津山で仕事してるんやろ?」

 私も誰かと間違えられて、「あんたの主人は誰?」と聞くので夫を指さすと「違うやろ」と信じてくれません。

 おばあちゃんもどこのだれか分からない人が大勢来たので疲れたかもしれません。

 好物のカニしゃぶもほとんど食べませんでした。

 
 帰省してもさらに新幹線でおばあちゃんちに行かねばならない子どもたちは大変だと思いますが、高齢のおばあちゃんに会える時に会ってもらいたい思いもあり、夫が自宅に戻れないのでこちらから行くしかないこともあり、無理してもらいました。

 子どもたちとお墓参りも行けてよかったです。お墓参りの道中、可愛いマンホールのふたを見つけました。岡山だから、やっぱり桃太郎。

2017年12月17日日曜日

要介護1から3へ

 おばあちゃん(夫の母92歳)、幻覚妄想のために不穏状態になり騒いで困る日もちょくちょくあるようです。

 その症状で認知症専門医にかかることができ、先生が「要介護1ではないだろう、診断書を書いてあげる」と介護認定見直しの手続きを取ることになりました。

 そして要介護1から要介護3になりました。

 要介護3であれば特養の申し込みも可能です(認知症であれば3でなくても申し込みできますが、待機などの問題があるので実際は難しいようです)。いざとなれば道が開けると思うと気分が楽になります。

 
 現在のおばあちゃん、食事に声を掛けても「要らん」と言うこともあり、食べたり食べなかったり。ベッドから起きて来て食卓で食べています。トイレは日によって介助がいる日もありますが、行ける日もまだあります。お風呂の後、服がうまく着られなくて手伝っています。一日の大半ベッドで横になっています。

 おばあちゃんのお姉さんが先日96歳で亡くなりました。お葬式に参列することができないので、納棺前にお別れに行きました。生活が苦しかった時に助けてくれたお姉さん、おばあちゃんは子どもの頃から3歳年上のお姉さんに張り合って、勉強でも仕事でも負けるもんかと頑張っていたそうです。そのお姉さんがとうとう先に亡くなってしまったので、おばあちゃんががっくりしてしまわないか心配しています。

2017年11月12日日曜日

初めてのショートステイ


 おばあちゃん(夫の母92歳)、最近は調子の良い時と悪い時の波が出てきました。良い時はトイレにも行け、ご飯も好きな物しか食べないものの自分で箸を持って食べることができます。デイサービスに周囲1回夫の送迎で行き、入浴もそこで入れてもらっています(気が向かない日は入りません)。

 ですが、調子が悪いと幻覚が出て、子供がたくさんいると言ってその子供に向かって一晩中しゃべる続けたり、床に水が流れている、壁に虫がいると騒いだりします。幻覚が出ているときは食事もとらず、トイレの場所が分からなくなり、連れて行こうとすると文句を言ったり、気が付かないとベッドのそばで下着を脱いで排尿してしまったこともありました。

 ケアマネさんに電話すると、すぐに来てくださって、病院に一緒に行ってくださいました。検査の結果、認知症が進行するような異常はないが、幻覚に対処する薬を処方していただき、要介護認定の見直しの意見書を書いて下さることになりました。

 こんな状態では夫が家を空けることができないので、ショートステイの利用を勧めて下さり、デイサービスと同じ施設にお世話になることになりました。

 その初めてのショートステイで、先週の金曜日におばあちゃんを預けて、久しぶりに夫が帰ってきました。もともと自治会の用があっての帰宅でしたが、無事預けられるかどうかわからないために代理の方を頼んでもらっており、土曜日は出なくて良いことになりました。今日は朝早くから昼まで出て、午後はおばあちゃんちで仕事ができるようにプリンターを買いに行き、今夜もう一晩家で過ごして明日朝ショートステイに迎えに行き、認知症の病院に予約があるので連れて行くという段取りでした。

 ところが、晩の9時頃、夫の弟のお連れ合いから電話があり、「施設からおばあちゃんが騒いで手におえないので引き取ってほしいと連絡があり、これから迎えに行きます」とのこと。夫は予定を切り上が慌ただしく岡山に向かいました。

 先ほど夫より無事着いたと電話があり、施設で大きな声を出して他の人に迷惑なので・・・と言われ、義妹が連れて帰ってさっきまでみてくれていたそうです。今おばあちゃんは「ご飯を食べてない」と言って、レトルトパックのご飯と即席みそ汁を食べているとのこと。

 齢を取るって大変なことだとつくづく思います。

2017年8月12日土曜日

帰省ラッシュ


 山の日は次男と岡山の実家のお墓参りに行きました。3連休、そしてお盆の休暇が始まったところで、いつもはそれほど混まない岡山方面行きの在来線がスーツケースやボストンバッグを持つ人で大混雑でした。

 相生で岡山行きに乗り換えるつもりでしたが、そのまま播州赤穂まで行き、赤穂線で岡山に向かうことにしました。30分ほど余分にかかるのですが、めったに乗ることのない路線の旅も面白かったです。

 岡山で途中下車して、昼食は名物のままかり寿司と天ぷらそばのセット。午後1時を回っていたのですが、ここも大きな荷物を抱えた人でいっぱいでした。

 お墓参りはおばあちゃんも一緒に夫の車で行ったのですが、白内障と緑内障で目が見えにくく、足元もおぼつかない92歳のおばあちゃんには坂の上の墓地までの道が大変です。人の助けを借りることを潔しとしないおばあちゃんも、さすがに一人では歩けず、両手を握って少しずつ少しずつ上ります。車いすか手押し車でもあれば助けになるのにと思いますが、それも格好が悪いと嫌がるのです。

 お墓は前もって夫が掃除に行ってきれいにしてあり、これも夫が買いに行ってくれたお花を供えてお参りしました。その間もおばあちゃんがよろけてこけないか、熱中症になりはしないかと気が気じゃなく、落ち着いて手を合わせる気持ちにならなくて・・・。

 その後夫と買い物に行き、夕食は私が作って皆でいただきました。おばあちゃんはご飯と牛肉を焼いたものしか食べず。夫が庭で作ったナスの煮物はおいしいだしがしみて会心の出来でしたが、箸をつけなかったですねぇ。このおばあちゃんに栄養をつけさせるのは大変だと思いました。

 デザートに姫路駅で買った江戸屋のわらび餅を出しました。「おなか一杯やから何もいらん」と手を出さなかったおばあちゃん、私たちが食べていると、「これ何?」と訊き、「わらび餅よ」と言うと「一つ食べてみるかな」ともぐもぐ。「やわらかいお餅やなぁ」と珍しがって、結局取り分けたお皿はぺろりと空に。やれやれ、わらび餅は気に入ったようでした。

 
  お盆ですね。