2017年9月24日日曜日

すごい! 景色が違って見える!


 土日と家にいる休日でした。

 土曜日は午前中、1階の掃除・洗濯・布団干し。午後、少し昼寝・2階の掃除。夕食後、雨漏りで濡れた本を書庫に戻す。あっという間に一日過ぎました。

 日曜日は午前中、洗濯・表の草引きと植物の手入れや植え替え。午後、図書館と散歩・アイロン掛け。あっという間にもうこんな時間?

 部屋中に広げていた本を書庫に戻せたことと、気になっていた外仕事ができたので良しとしましょう。今晩は栗ご飯も炊けたし。


 本はまだ少し乾いてないものもあるものの、ほぼ書庫に戻して一段落しました。工務店の人が先日改めて屋根や壁などを見に来てくださり、見積もりを出してくださることになっています。たぶん、今すぐ工事をお願いするのは無理と思います。また大雨や台風で漏っては大変なので、いざという時に本をカバーするビニールシート(百均でレジャーシートを買いました)や養生テープも用意しました。

 そうそう、散歩にこの前作ったよく見えるメガネをかけて行きました。景色がものすごくくっきり! 山の木の葉の一枚一枚まで見えるような気がします。世界が違って見える! このメガネでもう一度興福寺の天平乾漆群像展(後期)に行ってみたいです。 

2017年9月18日月曜日

3つの眼鏡


 小学1年生からメガネっ子の私。これまでにお世話になったメガネの数はとても覚えていません。

 ずいぶん前に近くを見る用に作っていたメガネが合わなくなり、近くもぼやけて見えないし遠くは全く見えなくなってしまい、以前遠くを見る用に作ったメガネをとりあえずいつもかけていました。それで手元を見るとチカチカして見づらくて、メガネを作らないといけないなぁ・・・と思っていました。

 ようやく重い腰を上げて眼科で処方箋を書いてもらいました。思い切って手元用(仕事・読書・パソコン用)と遠距離用(映画・パワーポイントを見る・展覧会用)の2種類をいっぺんに作ることにしました。

 強さで言えば強・弱を新しく作り、中に当たるのが手持ちので、外歩きや家事やテレビを見るときに使うことになります。

 つい最近まで、メガネをかければ遠くも近くもはっきり見えるものだと思っていました。それは私の認識が間違っていて、メガネでできるのは例えば50センチの距離(パソコン)に焦点を合わせて作ることでしかなく、そのメガネではもっと近い距離も遠い距離もぼやけてしまうのです。しかも年々目の方も年を取って複雑な様相を呈してきて、 左右の視力差も大きくなっています。

 だから、右目の視力と左目の視力を同じに矯正すると、見える大きさが違ってしまい、両眼で見るとぶれてチカチカしてしまいます。そのために左右で矯正視力に差をつけて、同じ大きさで見えるように調整していることも知りました。後は脳内でうまく補正して「見える」という訳です。

 今回は初めてのチェーン店の眼鏡屋さんで作りました。そこはフレーム代金にレンズ代が含まれているシステムで、私の強度で複雑な処方も追加料金なしでした。(熱や傷に強いコートは追加料金有) これまでで一番安く眼鏡を作ったかも。

 せっかくなのでフレームもちょっとおしゃれなのを選んでみました。遠くの良く見えるメガネで奈良興福寺の仏様を見に行きたいな~。

遠距離用
手元用


台風一過、雨漏りの後片づけ

 台風が過ぎると雨風もあっという間に収まり、庭から虫の音が聞こえてきました。一夜明けると快晴です。

 朝、いつもお世話になっている工務店に連絡すると、午前中に様子を見に来てくださいました。何しろ築85年で、屋根や2階部分は建築当時のままなので、どこから雨が入ってもおかしくない状態で、今可能性をつぶすのがいいのか、屋根の改修時まで先延ばしにするのがいいのか、判断が難しいところです。

 濡れた本は座敷に広げて乾かしています。書庫は扇風機2台で風を送り、乾燥を待つことにしました。


2017年9月17日日曜日

悪夢再来・・・書庫に雨漏りが!!!

 台風接近でしたが午前中は雨が降らず、買い物にも行って外回りの飛びそうなものを片付け、備えをしていました。

 晩になって雨脚が強まってきました。『直虎』を見てる途中に地デジの信号が入らなくなり、その頃雷も鳴って北からの風で雨が吹き付け、リフォームしていない2階は大丈夫かと心配なぐらいでした。

 『直虎』が終わり台風情報を見ながら片づけを始めようという時、次男が変な音を聞きつけて書庫を覗き、声をあげました。

 なんだなんだ?

 見に行ってびっくり。書庫が雨漏りです。よりによって私の大事にしている八木重吉や黒田三郎の詩集や昔のコミックスのあたりに天井からぼたぼたと・・・。

 ちょうど4年前、悪夢のような縁側の雨漏りがあり、 それをきっかけにリフォームを決意して、書庫はそのリフォーム時に造ってもらいました。

 またもや雨漏り、しかも濡れてはいけない書庫でとは!!

 何はともあれ濡れた本を抜き、無事な本を退避させ、これ以上濡れないようにゴミ袋を棚に張り付けて、水浸しの床を拭き、ビニールシートを広げました。その間も頭の上からぽたぽたと漏っていて、『直虎』の前にお風呂に入ったのにびしょ濡れに。

 気づきませんでしたが、記録的短時間大雨情報が出ていたらしいです。知っていても雨漏りを防ぐことは出来ませんでしたけれどね。

濡れてしまった本
  
 ちょうど書庫の上に1階の屋根と2階の壁の継ぎ目があり、そこはリフォーム時に手を入れていない場所だったのですが、北から吹き付ける雨が壁伝いに入り込んだんだろうと思います。

 記録的短時間大雨情報が出るほどの雨はそうたびたびあるものではなく、あっても北からの吹き降りでなければ漏ることはないと思います。でも、場所が場所だし、早めに補修を頼まないといけないですね。

 杉の無垢材の書庫の天井に雨漏りのしみが出来ちゃうと思うとげんなりします。

喫茶店のスパゲッティ

 お彼岸を前に、実家のお墓参りに行ってきました。実家の墓所は祖父の出身地和田山にあります。父が8代目当主なんですが、6代目で家が没落し、現在和田山には親戚も全く住んでいません。

 墓所には江戸時代からの古い墓石が十何基も並んでいます。母が存命の頃はお寺から年忌法要のお知らせが来て、それが「何代何兵衛の妻○○の二百回忌」とかいうのでびっくりでした。少しずらしたりして祖父や祖母の年忌法要と合わせて法事を営んでいました。

 父の代で本当に途絶えてしまう家系なんですが、墓所をどうするのかは考えていません。今のところ父や叔父叔母がお盆やお彼岸に誘い合わせてお参りしています。しかし皆が80代前後になっているので、墓所の維持管理がいつまでできるか分からないところです。

 
 私は8代目の長女です。きょうだいは妹が二人。いずれは父に代わって私たちが墓所の管理をし、ゆくゆくは墓じまいも考えないといけないでしょう。

 私は結婚当初、姑から「嫁に来た者は実家と縁を切れ」と言われ、夫方の墓参りは盆正月彼岸と当然のようにするけれど、実家の方は行きづらくて、祖父母の法事に出席したときに参るぐらいでした。

 しかし、現実に親世代が年を取って来て、お墓参りにいつまで行けるか分からなくなってくると、嫁に行ったとか何とか言ってる場合ではありません。


 今回お墓参りに行けたのは、夫が「自分は自分方のお墓に参るから、そちらはそちらでお参りに行けば」と言ったからでした。なるほど、手分けすれば両方のお墓にお参りできるじゃないですか。有難い提案でした。 夫方の墓参りはお盆に揃って行ったので、お彼岸はそれぞれ分かれてお参りするのは良い考えです。

 という訳で、お彼岸には少し早いのですが次男と二人で和田山まで行ってきました。


 天空の城と言われる朝来市の竹田城跡は和田山の隣の駅(竹田駅)が最寄です。ローカル線でごとごとと揺られ、竹田駅で降りる人が結構いらっしゃいました。私たちはもう一つ先まで。駅から徒歩10分。和田山は秋風が吹いていました。

 お盆に父たちがお参りしているので、墓所には雑草もなくすっきりとしていました。古いお花を片付け、墓石を洗ってお参りをしました。

  近くの喫茶店でお昼にしました。次男が頼んだスパゲッティ、パスタを軽く炒めてソースをかけてあり、とってもおいしそう! 私のサラダ&焼きそばも美味しかったです。



 ね、喫茶店のスパゲッティって感じでしょ?


 食事をせずに駅に行けば間に合ったのですが、それを逃すと1時間半近く次の列車がありませんでした。ずいぶん時間があるので、駅の裏手を歩いてみることにしました。

 以前は播但線・山陰線にSLが走っており、その当時の遺構が残っていました。機関車に給水するための塔(タンク)や、レンガ造りの機関庫。 ツタに覆われ屋根が抜けて物寂しい景色です。




 駅前通りの菓子屋で銘菓鮎のさゝやきを買って、帰路につきました。

 列車が竹田駅に着くと、朝の列車で同じだった人が乗り込んでいらっしゃいました。竹田城跡に登り、食事をしてちょうどこの時間なんでしょう。朝は静かにパンフレットを眺めておられたのに、ずいぶんおしゃべりが弾んでいるのは楽しかったからでしょうね。

 私たちもいつかお墓参りの帰りにでも竹田城跡に行ってみたいな。朝もっと早く家を出ないとダメかしらね。 

2017年9月3日日曜日

若松英輔を読む


 亡くなった人は死者として存在している。これは今の私の実感です。

 心の中に生きているとか、私たちが忘れないでいる限り亡くなった人も死なないとか、よく言いますよね。私は、亡くなった人というのは生きている人の思いの中に閉じ込められているのじゃなくて、姿かたちはなくとも生き生きと存在し、私たちに祈りや願いをもって働きかけていると感じています。

 若松英輔さんの『死者との対話』を読んで、死者の実存をはっきりと語る人が実はたくさんいらっしゃることを知りました。

 若松さんの死者論、若松さんが取り上げているほかの作品を読んでみるつもりです。