2017年10月29日日曜日
今ここ
カウンセリングや心理療法を勉強していると「今ここ」に注意を向けるという考えによく出合います。最近注目されているマインドフルネスもそうですし、カウンセリングの基本姿勢としてもよく説かれることです。
「今ここ」に注意を向けることで、囚われている問題と距離を置き、客観視できるようになるのです。
それで思い出したことがありました。死別後半年ほどお世話になっていた精神科クリニックでのことです。
仕事も失って家に引きこもり、いつもいつも亡き人のことが思い浮かんで悲しみや自責でいっぱいでした。
先生は「あなたが責任を感じることは何もありません。早く忘れましょう」と言われ、思い浮かびを即座にシャットアウトする練習をするようにと指示されました。
亡き人のことが思い浮かんだら、すぐに今していることに意識を向け、例えば皿洗いならそこに、洗濯物干しならそこに意識を集中するというやり方でした。
当時、そうすればどうなるのか、何を目的にそれをするのかの説明を受けなかったのですが、それはまさに、「今ここ」に注意を向けるということだったのです。
先生の指示通り3日間、日に何十遍も思い浮かびのたびに意識を今の作業に移すということをやりました。そしてへとへとになり、耐えられなくなりました。
今にして思えば、私が悲嘆にあったということを先生はつかんでおられなかったのでしょうし、勝手に思い浮かぶことはシャットアウトしたとしても、何もしていない時間に亡き人のことを想うのであればよかったのかもしれません。
けれど、死別後間もなくの時期にあって、生活の時間と悲嘆の時間を分ける事もまた不可能だったと思います。
その時の私にとって、「今ここ」は悲嘆の方にあったのではないかと思うのです。皿洗いよりも、洗濯物干しよりも、死別の苦しみの方が現実だったのではないかという気がします。
そういう自分の状況を自身で把握することもできていなかったし、それを伝える事もまたできなかった、9年前の体験です。
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