2017年3月25日土曜日

神戸市主催 グリーフケア講座~その2~



 2月9日のグリーフケア講座、2つ目の講演は、『かけがえのない人を亡くすということ―遺族の体験から―』小さないのちの坂下裕子さんのお話でした。

 坂下さんは1歳の子どもさんを病気で亡くされ、現在は子どもを亡くした家族の会・小さないのち(セルフヘルプグループ)で活動をされています。


 講演では、「1.言葉で伝えるグリーフ」 大切な人を亡くした遺族の言葉を紹介し、死別とはどのような体験なのか、そこからどう生きていくのか、悲嘆の持つ意味をご自身の体験も織り交ぜてお話しくださいました。

 ◇中原中也 『春日狂想』から
 「愛するものが死んだ時には 自殺しなけあなりません けれどもそれでも、業が深くて なほもながらふことともなつたら 奉仕の気持ちに、なることなんです 愛するものは、死んだのですから もはやどうにも、ならぬのですから そのもののために、そのもののために 奉仕の気持ちに、ならなけあならない」

 亡くなった子どもさんのところへ行ってやりたかった。でも生きていかなければならない。生き残った者として、死んだ子のために一生懸命生きて、認めてもらいたい。そのために遺族会のボランティア活動に打ち込まれたそうです。

 でも、次第に「死んだ人はそんなこと思ってないんじゃないか」と感じるようになりました。

 ◇宮沢賢治 『小岩井農場』から
 「かつて日本人は、「かなし」を、「悲し」とだけでなく「愛し」あるいは「美し」とすら書いて「かなし」と読んだ。 悲しみにはいつも、愛(いつく)しむ心が生きていて、そこには美としか呼ぶことのできない何かが宿っているというのである」

 ボランティアで遺族のお話を聴くうちに、遺族の話はもう亡き人への無私の思いにあふれ、愛に満ちて美しいと思われるようになりました。そのことが、遺族会を続けている理由なのですとおっしゃいました。


 「2.形で伝えるグリーフ」 10人の遺族が言葉ではなく図で描かれたグリーフを紹介していただきました。

  ◇闘病の末奥様を亡くされた男性は、亡くなったことで妻の苦しみはもうなくなったと感じ、闘病中の悲しみや不安や絶望から解放された心境を図示されました。

 ◇死別前は自分を中心に様々な人が円を描くように繋がっていたけれど、死別を境にそれまでの繋がりがバラバラになり、消えてしまった人(繋がりがなくなった人)もいます。自分自身も小さくなって、非力・無価値であると感じておられます。

 ◇それまでの人生ではプラスとマイナスの間を行き来していましたが、死別の衝撃が真ん中に大きなギザギザの壁を作り、プラスに行こうとしても壁に当たってマイナスに落ちてしまい、なかなか這い上がれなくなりました。段々と身を守ることに上手になって、壁の間をすり抜けて前に進めるようになりました。

 ◇子どもさんが亡くなってからも、その子が生きていれば何歳になり、進学・就職・結婚・孫ができる・・・と「そうなるはずだった道」ばかりを見つめていたという図を描かれた方。「ほんまやったら成人式なんです」ともうない道の方が「ほんま」だという気持ちを表されました。

 ◇5歳の時に弟を亡くされ、それまでは縦糸と横糸が整然と張られた網をイメージしていたのが、何が起こったのかよく分からない混乱、両親の悲しみやどうなっちゃうんだろうという不安で網の目はぐちゃぐちゃになりました。年月をかけて網は修復されますが、完全に元通りに戻ることはありません。

 ◇お母さんの生前は、自分はお母さんの傘の下に守られているイメージでした。関係の悪かったお父さんは傘の外に小さく描かれています。お母さんは亡くなりましたが、もっと大きな傘となって自分を入れてくれています。その後亡くなったお父さんも、お母さんの大きな傘の隅にいて、自分を守ってくれているようです。

 ◇死別時点から、いろんな感情がぐるぐると回っています。一見堂々巡りのようですが、そうではなく、質そのものが変化しながららせん状に巡って行っているのです。

 ◇生前は並んで進んでいた人生。一方が亡くなり、その時点でその人の人生は止まってしまい、私の人生はもぎ取られたように断絶します。しばらくは空白ができるのですが、生きていかなければと人生を進めていくと、亡くなった人がともにいてくれるのを実感します。寄り添っている、包み込むようにいる、私の中にいる・・・。いろんな形があるのです。

 ◇悲しみやいろんな感情が心の中に沸き起こり、 まるで水が真っ黒に濁ったようになりました。時間が経ち、心の中の水はまた澄んだ色になり、悲しみは消えてなくなったかのようですが、何かのきっかけで揺り戻しがあると、底に沈殿していた感情がまた舞い上がり、水は濁ってしまいます。悲しみは消えてなくなることはないのです。でも、じっとしていたらまた沈んでいくことが分かり、対処法を覚えるのです。

 ◇ゴムボールのような自分。独身⇒結婚⇒一人目の子どもが生まれる⇒二人目の子どもが生まれる・・・とボールは大きくなっていきます。⇒子供が亡くなった時、ボールの一部が破裂したように大きな傷ができました。まるで自分の一部がもぎ取られたようです。その傷口は変わることがありません。けれど、その後の人生で仕事や人との出会いや奉仕などを通して、自分のボールはまた大きくなります。本体が大きくなることで、傷の比重は小さくなり、生きていきやすくなるのです。

 これら、図に描かれた一人一人の悲嘆の歩みは、どれも大変共感できるものでした。


 次に、「3.身近な人だからできるグリーフケア」では専門家ではなく遺族の身近にいる人にこそできるグリーフケアについて説明されました。

 有効な遺族ケアには「情報的サポート」「道具的サポート」「情緒的サポート」「治療的サポート」があります。そのうち治療的サポート以外は身近な人こそができるサポートです。

 ◇情報的サポート・・・知識や資料を提供する、一緒に調べる、窓口を知らせるなど、死別後の手続きなどのお手伝いや場合によっては治療的サポートへつなぐ役目をします。

  ◇道具的サポート・・・おかずを届ける、家事を手伝う、子供を預かる、車で送るなど、悲しみに暮れてできなかったり手続きなどで忙しくて手が回らない面を助けます。

 ◇情緒的サポート・・・話をゆっくり聴く、ちょくちょく聴くなど、時間が限られる専門家にはできないかかわり方ができます。思い出を語らう、共に涙するなど、思い出を共有しているからこそできるサポートです。また、故人を忘れないでいてくれることは大きな慰めです。

 「グリーフケアの目指すところは悲嘆の軽減ではなく、しっかりと深く悲しめるように支えること」(橋本)
 たまらなくつらいときは
 「流れるままに涙を流すといい。何を言ってもどんな感情も、そのままに受け止めてくれる誰かがそこにいてくれると、もっといい。圧倒的な感情を表現し、それをともかく受け止めてもらえると、圧倒的だった感情は、少しだけ自分の手の中に持ちやすくなる」

 つらい気持ちを話すのは、あなたがそれを打ち明けられる相手だからです。自分で持とうとしているけれども持ちきれないグリーフに圧倒され、圧し潰されそうになっている人にとって、「聴いてもらう」ということは最高のケアです。言葉を挟まず、価値観を押し付けることなく聴いて欲しいのです。


 最後に、『最後だと分かっていたなら』(ノーマ・コーネット・マレック)という詩を朗読されました。
 
 失ってはじめて失った物の価値を知り後悔をしている。そうならないように、大切なものを心から大切にして今を生きてほしいと願っている。失う前に大切なものに気付き、行動につなげて欲しい。この痛みを他人事にしないでほしいという願いをこの詩は伝えているのです。


 悲嘆は生きている中で一番つらい体験ですが、同時に非常に豊かな体験だという気がします。悲嘆を体験したからこそより深く人生に向き合える。坂下さんのお話からもそれが伝わってきました。

  

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