2022年9月25日日曜日
器道楽
日中はまだ30度近くになる日もあり、陽射しにも力がありますが、朝晩はめっきり涼しくなりました。空には秋の雲が。
先々週の夏期休暇を利用して3泊4日でおばあちゃん(夫の母)の遺品整理に行ってきました。義弟のお連れ合いと一緒にまずは衣類の仕訳と片づけから。「これ着てたよね」と言い合いながらも手は止めずに作業に没頭。福祉バザーに出せるものはよけて、ごみとして捨てるものはまとめ、他は資源回収へ持ち込みました。
布団や毛布類が「なんでこんなにあるの?」と首をかしげるほど大量にありました。義弟が客用として2組貰ってくれて、私の妹が敷布団が欲しいとのことで4枚貰うことにしました。他は粗大ごみと資源回収へ。
おばあちゃんは意外と捨てられない性質だったようで、以前居間で使っていたと思われる歴代のじゅうたんが2階に積まれていました。そのままだと粗大ごみになり捨てにくいので、ハサミで裁断してゴミ袋に詰めました。昨年実家の片付けをしていた時にポリカーボネイトの波板を裁断してゴミに出したのを思い出しながら作業。
実家の片付けの時に既視感があると思ったのは、8年前の自宅のリフォームに際して家中ほぼすべてのものを選別し大量に処分したのを思い出したからなのですが、今回もまた同じような作業をしているわけで、廊下に積まれたゴミ袋までが似ています。
物は違えど「なんでこんなものがこんなにあるの?」と思うところも同じです。おばあちゃんの場合はプラスチックの入れ物がそう。大小さまざま、百均からそうでない物まで出るわ出るわ。再利用できそうにないので処分です。
おばあちゃんは器道楽で、岡山市の中心部の商店街、奉還町の専門店で買ったのか百貨店で買ったのか分かりませんが、いい器をたくさん持っていました。おじいちゃんも生きていた頃は大きな食器棚二つに様々な器が詰まっていました。泊りに行くと食事の支度を任されていて、どの器に盛りつけようかと楽しみだったものです。
20年以上前に一度段ボール箱いっぱいの食器をもらったことがありましたが、その時に断捨離をして妹さんなどにも譲ったと聞きました。だから今残っているのはおばあちゃんが好きで手元に残していたものと日常使いに便利なもの。義弟のお連れ合いは何も要らないと言うので、遠慮なく好きな食器をいただいてきました。
器好き同士で話が合ったかもしれないのに、おばあちゃんとそんな話はしたことがなかったな。「この器素敵ですね」とか「私これ好きです」とか言えば良かったなと今更ながらに。気持ちの通い合うことがない嫁姑で終わってしまいましたが、一つ共通の話題があったのかもと。本当に今更ですが。
おばあちゃんの器は持ち帰った段ボールからまだ出せていません。この3連休も何かと忙しくて手が回りませんでした。手持ちの食器を少し整理して、おばあちゃんの食器を仲間入りさせようと思っています。
2022年9月11日日曜日
夏休みは岡山へ
夫が2か月ぶりに自宅に帰ってきました。おばあちゃん(夫の母)の看取りのために実家に詰めていたのですが、亡くなった後は弟と相続の話をしたり手続きを始めたり、並行して実家の片付けを始め、忙しくしてます。
夫が実家と自宅の行き来を始めてから10年ほどになります。近年は実家にいる方が長かったので、夫の荷物もずいぶん増えていました。それらを車に積んで何度かに分けて運ばねばなりません。おばあちゃんの遺品を片付ける中で、譲り受けるものもいくらかあります。今回はまず自分の荷物を運んできました。
相続の手続きに必要な印鑑証明を取ったり、遠方の本籍地に戸籍謄本を取りに行ったりして数日を過ごし、また岡山へ戻って行きました。
四十九日が過ぎて納骨をしたら、実家をリフォームして弟が住んでくれることになりました。そのためには片付けも手続きも急がねばなりません。弟夫婦も来てくれていますが、私も今週の後半の夏期休暇を利用して実家へ行って手伝うことにしました。
まだしばらく暑い日が続きそうです。気が抜けない日が続きますが、何とか乗り切れますように。
2022年9月4日日曜日
おばあちゃんの旅立ち
8月30日におばあちゃん(夫の母・97歳)が旅立ちました。2日ほど前からいつでも連絡が取れるようにと言われていて、29日の晩に危篤との知らせがあり、駆け付けた夫の見守る中、眠るように息を引き取ったそうです。
享年98歳。大正に生まれ、昭和、平成、令和と生き抜いた生涯でした。2000年におじいちゃんが亡くなった後一人暮らしを続けてきましたが、次第に認知症が進み、10年前からは夫が同居して世話をしてきました。2018年に自宅で転んで骨折し入院。車いすになって自宅での生活が困難になり、老健を経て今の施設にお世話になりました。
私たちが最後に会えたのは2019年のお正月。札幌の娘も大阪の長男も一緒に、家族5人で特養に面会に行きました。認知症が進んだおばあちゃんはもう誰のこともわからない様子でしたが、娘には少し反応したような気がします。程なくしてコロナ禍となり、夫でさえ面会ができなくなってしまいました。
それでも特養では変わらぬ日常を職員のみなさんが守ってくださって、施設だよりに時折満面の笑みの写真が載りました。おばあちゃんに家族と会えないさびしさや住み慣れた家で過ごせない悲しさがあったのかどうか知ることはできませんが、自宅では味わうことのできない楽しい一瞬や生き生きとした時間があったことは間違いなく、おばあちゃんの最晩年を支えて下さった特養のみなさんには感謝してもしきれません。
看取り介護に入ってからは特別に面会も許され、夫は毎日会いに行き、夫の弟夫婦も別れを告げることができました。介護ノートにはわずかに口にできたものについても記してあり、おばあちゃんが最後に食べられたのは夫が差し入れをしたハーゲンダッツのアイスクリームだったそうです。
遺影は特養で行事の時に撮ってくださっていた写真を職員さんにお願いして集めていただいた中から選んだ90代後半の笑顔ですが、棺のおばあちゃんはまだしっかりしていた時分の張りのある表情に戻っていて、本当に若返って眠っているみたいで不思議でした。お骨になったおばあちゃんを4年と5か月ぶりに自宅に連れて帰りました。
これからいろいろな片付けをしていかねばならず、急に忙しくなりました。おばあちゃんが良しとしてくれるように後始末ができたらと思います。
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