2025年12月31日水曜日

毒吐き(2)

大みそかになると思い出すことがあります。一時、夫が義父母を呼び寄せ7人で暮らしていた時期がありました。その時の大みそかのことです。

年末に子どもたちを連れて実家に餅つきに行き、すぐに自宅に戻って大掃除をしたり、当時はおせち料理も少しは作っており、大みそかは早朝から座る暇もない忙しさでした。夕食を作る余裕がないので、お寿司の盛り合わせを買ってきました。夜中の12時に年越し蕎麦を食べるのだから、とりあえず簡単でいいかと考えたんですね。

義父母に夕食ができましたと声を掛けましたが、ダイニングに出てきたのは義父だけでした。義母は食欲がなくて食べたくないと言っているが心配しなくていいと義父が言います。とりあえず子どもたちと義父で夕食をとりました。

そして日付が変わるころに年越しそばを作り、義父母を呼びに行くと、義父が部屋で食べると運んでいきました。

元旦、お雑煮を作りあけましておめでとうございますと声を掛けましたが、またまた義父だけが出て来て、義母は調子が悪いらしいからいいと言いました。昨日からほとんど何も食べていないようなので、煮麺(にゅうめん)を作って、これなら少しでも食べられませんかと義父母の部屋に持って行きました。ところが義母は要らん要らんとそっけなく、義父がありがとうと受け取ってくれました。

あとで空になった器をキッチンに持ってきた義父が言うには、義母は素麺が嫌いで、口に入れるだけで吐き気がするようだとのこと。煮麺は気を使った義父が代わりに食べてくれたらしい。しかも、昨夜夕食を食べなかった理由は、大みそかといえばすき焼きと決まっているのに、違ったから腹が立ったからだったというのです。

大みそかにすき焼きを出さなかったことで気を悪くして、ハンガーストライキ。体調が悪いならと喉越しの良いものをと作った煮麺は吐き気がするほど嫌いな食べ物だった。知らなかったとはいえ、最悪でした。

いまだに大みそかが来ると必ず思い出す私は、実に執念深い性格です。

 

毒吐き(1)

嫌なこと、つらい事、しんどいことを残したくないと思い、ブログもお休みし、ずっと続けてきた日記も書けなくなってしまいました。
何とか今日まで生きていました。
子どもに負担をかけ、不安な思いをさせて、生き永らえています。


以下、毒吐き(1)

この数年間音信不通になってしまい申し訳ありませんでした。私は一昨年還暦を迎えましたが、厄年というものはこれほどつらく苦しいものかと思い知る経験をさせていただいています。

仕事では、経験したことのない負荷がかかる人員配置になり、初めこそ仕事で培った支援スキルを実地で試す良い機会だと前向きに受け止めていましたが、到底一人で担えるものではなかったとすぐに知ることになりました。幸か不幸か、また翌年人事異動があり、部署の人数も増えたのですが、私以外の全員当該業務が初めてというメンバーになり、一から教えながら自身の仕事もする日々。あまりにも忙しいために有給休暇すら取れませんでした。そして昨年4月の人事異動では、部署の一人が再雇用になり、勤務日数が減って全体のマンパワーは減少。その中で支援対象者はこの3年間右肩上りに増え続けています。

思い余って西宮の門戸厄神東光寺さんにお祓いに行くことまでしました。上司からは「仕事量を減らすためにはちゃんと支援をしようと思うな」と本末転倒の指導を受け、今まで業務として当たり前だった支援の一つ一つに「しなくていい」「行く必要がない」とダメ出しをされる。

さすがに諦めの悪い(粘り強い)私も、年度末で退職する方が良いのかもと頭をよぎる昨今です。この15年間、すべてのことは支援対象者から学ばせていただき、他の機関の支援員さんたちからも大切なことを教えていただきました。でも本来の支援ができないのなら、私でなくても構わないではありませんか。

そんな状況の中でうつ病が再燃してしまい、薬の力を借りて何とか働いています。それ以上に、ここ2~3年、なぜか支援対象者の帰結があまり良い形にならないことも、私のやり方が間違っているのか、私の運気の悪さが足を引っ張っているのかと、ネガティブな考えがどうしても浮かび、もし私が担当していなければもっとうまくいくのではないかと思えてならないこともあります。

後厄が明ける2026年の2月4日を無事に迎えることができれば、それ以上何も望むことはないかもしれません。