2018年11月4日日曜日

上野は母の故郷


 三重県伊賀市、平成の大合併前は上野市でしたが、そこが母の故郷です。先日訪問した時に撮ったマンホールの写真には「うえのし」の文字が。伊賀上野城の城下町で、伊賀流忍者が有名です。

 町の名前には今も城下町の名残があります。寺町、農人町、鍛冶町、魚町、紺屋町。江戸時代の藩校の跡や明治に建てられた旧小田小学校校舎や上野高校校舎などが残っています。

 俳聖 松尾芭蕉の生誕地でもあり、生家や記念館、蓑虫庵、俳聖殿などゆかりをたどることができます。

 実に40年ぶりに町を歩き、すべてがこじんまりと目に映ることに驚きました。子どもの頃見ていた世界からすれば、自分が大きくなった分一回り小さく見えるのは当たり前ですが、とても不思議な感じがしました。


 JR伊賀上野駅と近鉄伊賀神戸駅を結ぶ伊賀鉄道は、昔は近鉄伊賀線で、路面電車に毛が生えたような線路をカタコトと走り、停車や発車時には運転手が鐘を鳴らし、チンチン電車と呼んでいました。とてものどかで懐かしい思い出です。

 今は松本零士氏がデザインしたラッピングの立派な車両が走っていました。




  その当時から有名だったすき焼きの金谷と田楽のわかや。伊賀肉を食べに県外からも人が訪れる金谷のお肉は、お正月におばあちゃんが送ってくれて、家ですき焼きをいただきました。わかやは「お豆腐ですやん」とわざわざそんなもの食べに行くことないという大人たちの評価で、一度もよばれたことがないままに過ぎました。

 せっかく上野に行くのだから、わかやの田楽を食べたい。予約の電話をしたら祭なので一杯と言われ、直接来て待ってくださいとのこと。かなり待つかなと覚悟して行ったのですが、香ばしい味噌の焦げる匂いを嗅ぎながら待つこと20分ぐらいで案内されました。




 夕方訪ねたおばあちゃん家、今は叔父夫婦が住んでおり、周りの家も建て替わったりして景色が変わっていて、グーグルマップを頼りにたどり着きました。

 茅葺屋根の母屋は昔の面影を残し、庭の前栽のたたずまいも懐かしい雰囲気です。何度も手を入れながら、ずっと暮らしが続いていることが嬉しく、変わったところさえも懐かしい気持ちがしました。

 「お祭には甘酒を作るのよ」と叔母が仕込んだ甘酒をよばれました。そうそう、おばあちゃんもお祭の時にはいつも甘酒を送ってくれました。昔はこたつで温めて作っていたそうです。「何でか、甘酒は晴れた日に仕込むと出来がいい」とは叔母の話です。

 今回、上野天神祭の時にお邪魔したいと叔父に電話をしたところ、天神祭の詳しい案内を送ってくれました。おかげで巡行の時間なども分かり、十分に楽しむことができました。久しぶりの訪問も温かく迎えてくれて、本当に嬉しく有り難く思います。

 
 もう一つ、上野に行ったらおしもんを買ってこようと思っていました。お正月におばあちゃんからお肉と一緒に鯛をかたどったおしもんが送られて来て、とても楽しみでした。他にはない、上野ならではの和菓子です。

 上野には和菓子屋さんがたくさんあり、昔母に連れられてお土産を買いに行ったお店もいくつも思い出します。おばあちゃんの送ってくれていたおしもんはどこのお店のものだったのか分かりませんが、おばあちゃん家から一番近いいせやで天神祭限定のおしもんを買いました。


 
 上野行きを実現することができて本当に良かったです。行きたい行きたいとずっと思いながら、遠いし・・・とあきらめてきましたが、思い切って行ってみると何とかなりました。片道4時間半かかり、日帰りでは少々しんどく、あまりゆっくりもできなかったのですが、また機会があれば今度はお城や芭蕉翁のゆかりを訪ね、静かな町をぶらりと歩いてみたいと思います。

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