明治から昭和初期、龍野の淡口醤油を京大阪へ運ぶために龍野(新宮)から姫路の網干港まで電気鉄道が走っていました。播電鉄道と言います。
それ以前は揖保川を船で下って運んでいたのです。
現在の我が家の場所が、以前の播電の停車場だったことは伝え聞いていましたが、実際播電がどんなルートで走っていたのか、当時の街の様子はどうだったのか、機会があれば知りたいと思っていました。
この企画展では、写真や駅周辺の地図など、貴重な資料をたくさん見ることができ、いろいろと勉強になりました。
写真の中に、「鮎狩」の特別列車に乗ってきた大勢の人が電車から降りているものがありました。揖保川はアユ釣りの名所として有名ですが、鮎狩とは???
企画展で入手した資料に、揖保川に屋形船が描かれ、鮎狩の文字もあります。ネットで調べてみると、鮎狩の写真が見つかりました。どうやら川に入り素手で鮎をつかみ取りするような感じで、それを屋形船から見物している様子です。
当時のレジャースポットだったようですね。賑わいぶりがうかがわれます。今は本当に静かな町ですが、醤油製造で発展し、電車が走り、遠くから鮎狩にやってくるところだったんだと思うと楽しいです。
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