2017年6月25日日曜日

『男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け』秘話

 山田洋次監督の映画『男はつらいよ』は、テレビシリーズで人気を博した後、昭和44年に映画第1作となる『男はつらいよ』を制作。以後平成7年の第48作『男はつらいよ 寅次郎紅の花』まで26年間にわたり盆正月の国民的映画でした。

 第17作『寅次郎夕焼け小焼け』は龍野市(現在のたつの市)がロケ地に選ばれています。地元では数年前からロケ地巡りマップが作られたり、柴又で開催される寅さんサミットに出席したりして、『男はつらいよ』そして『寅次郎夕焼け小焼け』を愛する人々の熱意が形になりつつありました。

 今日はロケ地の一つでもあるたつの市立中央公民館で、当時の撮影に関わった人のお話と映画の上映、ロケ地巡りウオーキングが開かれました。

 
 龍野がロケ地に選ばれたきっかけは、山田洋次監督と一人の大部屋俳優の繋がりからだったそうです。その俳優は江藤孝さん。龍野市出身の江藤さんは俳優を志し、松竹に在籍していろいろな映画に出演されました。しかし父親が亡くなって帰郷し、家業を継がれたそうです。

 その江藤さんに、ある時山田監督から「龍野のことを教えてほしい」 と電話がありました。江藤さんの話の中で「龍野には芸者がいたんですよ」というところに何かを感じた監督、さっそく江藤さんの案内で龍野を訪れ、古い街並みを丹念に見て回ってイメージを膨らませていかれたそうです。

 映画では太地喜和子が龍野芸者のぼたん役でマドンナを務め、なんとこの作品では寅さんが失恋しないという珍しい設定になっています。

 また、江藤さん自身も龍野にやってきた大画伯・池ノ内青観(宇野重吉)と寅さんを乗せる市役所の車の運転手役で登場しています。

 江藤さんは2年前に急逝されましたが、もし生きていらっしゃったら今日のイベントでも、じかにお話を伺えただろうなと思います。実は江藤さんの娘さんとうちの娘が仲良しで、家も近くでした。以前俳優をされていたことは聞いていましたが、詳しくうかがう機会もなくて残念でした。

 今日は江藤さんのことをいろいろと聞くことができて、本当にうれしく懐かしかったです。


 撮影当時も現在も、龍野では朝の7時、夕方(5時か5時半)、晩の10時に龍野出身の三木露風作詞の童謡「赤とんぼ」のメロディーが流れます。このメロディーにも寅さん映画の秘話がありました。

 実は撮影当時の赤とんぼはシンプルでちょっと寂しさを感じるメロディーでした。映画でもその音が収録されて夕暮れのシーンの背景に流れています。山田監督はこの赤とんぼの編曲を山本直純に依頼し、現在龍野で流れているのはそのアレンジによるものなんだそうです。


 映画の撮影は41年前。スクリーンに映る町並みは今とまったく同じではありませんが、ずいぶんと残っているものも多くて興味深いです。

 そして、やっぱり寅さんの映画は良かった!
 笑って、最後にはほろりとし、心が温かくなりました。

 秋には寅さんイベントの第2弾を計画中だそうです。 楽しみに待ちたいと思います。

2017年6月17日土曜日

死んでいく力

 もっと良い看取りがしたかったと思っていました。ちゃんと看取られずに死んでいった人が可哀想でなりませんでした。それでも、出来るだけのことをしたという思いもあり、私が看取ったとも思っていました。

 死にゆく人は、看取られる人。看取る・看取られる関係の中で、死にゆく人は受け身の存在なのでしょうか。

 なんだか、ちょっと違うんじゃないか。死にゆく人も、主体的に死を生きると言えるのではないか。この頃、そんな気がしています。

 作家の三浦綾子さんは、晩年パーキンソン病を患い、介護を受けながら暮らしておられました。執筆ができなくなってから、「私には死ぬという大切な仕事が待っている」とおっしゃっていたそうです。

 柏木先生は、「こう言っては何かもしれませんが・・・」と前置きして、「一人一人には、死ぬ力があるのです」とおっしゃいました。

 死んでいく力・・・確かにそうでした。苦痛と孤独に耐え、死を生き抜いた亡き人は立派だったなと思います。

 でも、どんな気持ちで一人で死に向き合っていたのだろう、どうしてその気持ちを聴こうとしなかったのだろうと、私には後悔が今もあるのです。


2017年6月16日金曜日

『いのちの輝きに寄りそう』 柏木哲夫先生



淀川キリスト教病院理事長で、日本で初めてのホスピスケアを実施された柏木哲夫先生のお話を聴きました。テーマは『いのちの輝きに寄りそう』。


生命といのちは違う
生命から連想する言葉
「生命保険」「生命維持装置」
死んでしまったら終わり⇒有限
いのちから連想する言葉
「君こそわがいのち」「いのちの泉(讃美歌)」
死んでも生き続ける/涸れない⇒無限

私の生命は間もなく終焉を迎えます。しかし私のいのち、すなわち私の存在の意味、私の価値観は永遠に生き続けます。ですから、私は死が怖くありません。
これまでの医学は生命は診てきましたが、いのちは診てこなかった。これからの医学はいのちを診ていく必要があります。(中川米造先生)

生命
有限性、閉鎖性(身体の中に閉じ込められている)、客観性(血圧・尿量・心電図等)
いのち
無限性、開放性(広がっていく)、主観性(人によって違う)


いのちの無限性
重度心身障害の息子さんが40代で亡くなり、悲しみに暮れていたご両親でしたが、息子の写真を持って二人で旅に出るようになった。ある時飛行機の窓際に写真を立てていた。機内サービスの客室乗務員がその写真を見て感動し、もう一つのコップにジュースを注いで「窓際の方にもおひとつどうぞ」と差し出した。

写真の中に息子のいのちを見ている両親
客室乗務員もそのいのちを見た
写真に気づき、感動し、ジュースを差し出した感性

感性の3要素
気づき・感動・行動
行動が伴ってこそ感性が完成される


緩和ケアの要素
生命を診る
症状のコントロール「痛みを取ってほしい」
症状が取れても、心・社会・スピリチュアルな問題を抱えている
不安・落ち込む・イライラ・せつない・・・

いのちを診る
心の問題・たましいの問題にアプローチする

存在の意味
「何もできないままで生きている意味がない」
「私の人生って何だったのでしょうね」

価値観の尊重

平等意識
患者は弱者⇔ケアをする者は強者
回復可能な患者さんは強者側の社会に戻れる
末期の患者さんはやり直しがきかない
看取る者・看取られる者
人間として平等という意識が大切
            
親切なもてなし
ラテン語のホスピチウム(hospitium)
ホスピスの語源
ホスピスの精神
  
家族を診る
予期悲嘆のケア  近々別れなければならない悲しみ
死別後の悲嘆のケア


ホスピス・緩和ケア病棟に求められる4つの要素
明るさ・広さ・静かさ・温かさ
施設・建物だけでなく、働いている人に求められる資質でもある



全人的痛みの理解
「全人的痛み 図」の画像検索結果
 
                                           図:恒藤暁(1999)


終末期の主要な身体症状
亡くなる30日前から全身倦怠感と食欲不振は100%体験する
痛みは2か月前から出現
その他多彩な身体症状が出現する

「死別後、つらかった時何が助けになったか」の1位が安らかな死だったこと
患者さんの苦痛コントロールは家族の悲嘆を軽減する。

痛みがあると何もできないで時間だけが過ぎていく
今は経口モルヒネだけでなく持続皮下注入法が使える
日常生活動作(立てる・歩けるなど)が低下すると生活の質が低下する
末期の患者さんのニーズは一人一人違うので、
ホスピスケアでは個別に個性を重んじたケアが必要


「癒す」の二つの意味
ホスピスに来る人は病気はもう治らない
「ここにきて癒されました」という言葉の意味は

三省堂国語辞典
1)病気・苦痛などを治すこと
2)長い間欲しくてたまらなかったものを手に入れさせて満足させること  

欲しかったものが手に入った=気持ちが分かってもらえた
⇒「ここにきて癒されました」

痛みをもって日々生活することがどれくらいつらいか気持ちをわかってもらえた
余命が長くないせつなさはかなさつらさをわかってもらえた

末期患者の共通の願い 「気持ちをわかってほしい」
つらい・悲しい・寂しい・やるせない・むなしい・はかない・・・陰性感情

経験していない者に分かるはずがない
「わかりますよ」とは言えない

気持ちの理解
陰性感情を表現する言葉を会話の中に入れる
「それはつらいですね」
「そうですか、悲しいですね」
「本当に、やるせないですね」
情を込めて言う


引っ張り症候群
分子標的治療薬の登場により、医師が治療を引っ張り、
患者・家族の死の受容の時間を奪うこと
分子標的治療薬は副作用が少なく延命効果がある
そのため治療をやめられなくなる
身辺整理や家族との対話ができないまま、急変して亡くなる
終末期に緩和ケアに専念する場合は死の受容への援助が十分にできる  


家族ケアの3大要素
1.予期悲嘆のケア
  別れを予期して悲しむ家族のケア
  悲しみを表現しておく方が死別後の悲嘆のプロセスがスムーズ
  悲しみを表現できるように場所と時間を提供する         
2.死の受容への援助
3.死別後の悲嘆のケア 


寄りそい人に求められるもの=人間力
支える
落ちてしまうから支える(下から)
技術が要る(痛み・症状のケア)

寄りそう
寄りそっていれば自力で何とかなる(横から)
人間力が必要(スピリチュアルなケア)

寄りそいさえすれば、一人一人は死んでいく力を持っている
マザー・テレサ 死を待つ人の家
路上で孤独に死んでいく人々に交わりの提供をした=寄りそい

寄りそい人に求められるものとは

 1.聴く力
  訴えたいことをしっかりと聴く
  個人的な関心を持ってしっかりと聴く
  心も注いで聴く
  アクティブリスニング

 2.共感する力
  共感力を高めるために
  自分と患者さんをイメージの中で入れ替える

3.受け入れる力

4.思いやる力

5.理解する力
  その人の生活史を把握する

6.耐える力

7.引き受ける力  
  覚悟を持つ

8.寛容な力

9.存在する力
  何もできないけれどもそこにいる

10.ユーモアの力


ホスピスの初期 「その人がその人らしい生を全うするのを支える」
10年経って 「寄りそう」ことこそ末期の患者さんに最終的にできること


「人はその責任外で起こったことを引きずりながら亡くなっていく」
頑固に壁を作ってどうやっても入れてくれなかった患者さん
ライフヒストリーを知ると、生きるために壁を作ってきたことが分かった
その人らしい生を全うするのに寄りそう

「人はその責任外で起こったことを引きずりながら生き、老い、死ぬ」
ということを理解する    

2017年6月13日火曜日

研修でした


 今日は一日神戸で研修でした。フロアからはこんな景色が。しばらく梅雨の中休みが続きそうで、今日も爽やかな一日です。

 夕方研修が終わった後、ちょっと寄り道して・・・



 帰宅すると次男がカレーを作って待っていてくれました。じっくり炒めた玉ねぎの匂いがキッチンに満ちて、なぜか高校の学食を思い出しました。チキンカレー、とってもおいしかったです。

 そういえば、以前神戸で勤めていた時、残業で遅くなって当時家にいた長男に「夕食作ってくれる?」とメールすると、必ずカレーができていました。 これもまた懐かしい思い出です。


 さて、神戸の気も補充してきたことだし、また明日も仕事頑張ります。

2017年6月11日日曜日

梅雨空です


 あれあれと言う間に梅雨入りし、今日は重そうな雲が低く垂れこめて、時折雨粒が落ちてきます。庭のガクアジサイが咲いています。紫陽花は曇りや雨が似合う気がします。

 今日はこれから大阪へ。淀川キリスト教病院で日本で初めてのホスピスケアを始められた柏木哲夫先生のお話を聴きに行ってきます。

2017年6月3日土曜日

海風が気持ちいい





 6月になりました。梅雨入りも間近ですが、今日は気温も低く空気がさらりとしています。

 リニューアルしたメリケンパークに行ってきました。東遊園地から旧居留地をぶらぶらと歩いていくと案外近いのです。信号のところで急に潮の香がします。もうそこが海でした。

 大勢の人が思い思いに時間を過ごしています。今日はあまり時間がなかったのですが、今度はぼーっと座って海を眺めるもよし、潮風に吹かれながら本を読むもよし、のんびりしにまた来ようと思いました。

 
 仕事の忙しさは自分の力ではどうにもならないので、何とかやっていくしかありません。それならプライベートな時間の過ごし方を変えて、少しでも負担を減らすしかないのかもしれません。

 先にやることを今やっておけば、後でゆっくりできると思って、早め早めに片付けるようにしています。でも、ゆっくりできるはずの後になれば、また次の先のことをやるという風に、いつまでたってもゆっくりできる事がありません。これは見直した方がいいのかもと思い始めました。

 家事もこれとこれとこれと・・・必ずやると決めて、何が何でもやることにしているのですが、もし端折れるものがあるなら、やることを減らしてもいいかもしれません。 

 診察でそんな話をしたのですが、今だって料理は簡単なものしか作ってないし、掃除だって週1回だし、省ける事ってあるのかしら・・・。