2019年12月30日月曜日

12月4日 中村哲さん銃撃され亡くなる


 中村哲さんの突然の訃報に衝撃を受けました。中村さんのことを知ったのはいつだったでしょう。もう覚えていないくらい昔のことです。その頃中村さんは井戸を掘っておられました。医師として赴き、子どもたちが清潔な飲み水がないために病気になり、死んでいく現実に向き合い、日本の市民の援助を得て現地の人々と井戸を掘り始めたのです。

 戦争や民族間の争いが絶えず、タリバンやISの台頭、アメリカの対テロ組織攻撃など、中村さんが活動されていた地域は不安定な世界の情勢の最前線でした。それでも、すべての日本人スタッフを帰国させた後も、中村さんは一人現地にとどまり、自ら水路の建設現場に立ち続けました。

 命に危険が及んでいることを中村さんはご存知だったと言います。銃を持った警護が常に同行する日常でも、現場に行くことをやめなかったのです。たとえ明日死ぬとしても、今日自分がすべきことをする。中村さんはそう決めておられたような気がします。

 志半ばでたおれ、無念でしょう。でも、日々すべきことをやり抜いて天に召されたのですから、全うされたとも言える気がします。中村さんの生き方を忘れません。

 忘れないことで、中村さんは生き続けるのです。

2019年11月24日日曜日

お帰りなさい



 
 6月に修理をお願いした実家のお雛様が戻って来ました。お顔も髪も美しくなり、源氏枠御殿の屏風や畳、御簾なども新しくなりました。見違えるようです。

 屏風の内張から明治34年の新聞が出てきました。それはこの雛飾りの由緒を語る証人なので、そのままに残してあるそうです。その新聞の写真を撮って、一緒に送って下さいました。

 本当にありがとうございました。


 



 今年の紅葉は色づきが今一つのようです。

 「オータムフェスティバルで網干のレンコンを買って送って~。ついでに野菜もよろしく」と妹に頼まれていたので、昨日買い出しに出かけ、ついでに足を延ばして紅葉谷、聚遠亭へ。暑いくらいのいいお天気で、散歩日和でした。


 屋根工事は瓦の施工が終わり、あとは板金工事や漆喰塗りです。この3週間、LDKで寝起きしていたのですが、もう大丈夫そうなので、二階の大掃除をして一階に避難させていた物も戻しました。

 パソコンがダイニングにあればちょっと使えるので、勉強もはかどるかと思ったのですが、結局工事のあれこれや掃除などが忙しくてダメでした。なんでこの時期に屋根工事を始めたんだろう…と恨めしく思ったりしています。
 

2019年11月17日日曜日

足場を拝借


 屋根の葺き替え工事着工から2週間。好天に恵まれ、順調に進んでいるようです。今日は日曜日、職人さんはお休みです。

 今は洗濯物は二階の縁側に干し、先週はどこもかしこも土だらけで布団も干せなかったのですが、今日はブルーシートで養生した上に足場が建っているウッドデッキに物干しを広げ、布団やシーツを干しました。足場のパイプがちょうどいい物干し代わりになりました。

 工事が進み、土が部屋に落ちることも少なくなってきました。先週末に夫が帰って来た時はLDKしか使えなかったので、ダイニングテーブルにパソコンを置いてもらい、リビングに次男と布団を並べて寝てもらいましたが、今週帰ってくる時には何とか夫の部屋(座敷)を使えるようにしたいと、今日は次男と座敷の大掃除をしました。

 綺麗になった部屋にホットカーペットを敷いて、避難させていた家具を運んで戻し、また土が落ちるといけないのでレジャーシートをかぶせておきました。

 私と次男はまだ2階に戻れません。次の週末には2階を掃除して戻れるといいのですが、どうでしょう。

2019年11月10日日曜日

屋根工事でてんやわんや




 築84年の我が家の屋根。5年前のリフォーム時にはできなかった葺き替えに着手しました。


 4日に足場屋さんが来て足場を立て、5日から屋根瓦を下ろしました。朝、大勢の作業員さんとクレーン車やバキュームカーまで来ました。

 仕事に行くので朝しか見てないのですが、作業が始まると、屋根瓦の下に敷いてある土が天井板の隙間から室内に降って来て、大変なことになりました。そこまでの想定をしてなかったので、例えばパソコンの上に土が積もってしまったり、部屋に吊っていた服が土まみれになったり・・・。

 1時間早退して帰り、2階の物を1階に運びおろしてとりあえず掃除をし、棚など動かせないものにはクロスを掛けました。工務店の担当さんも昼休みに業務用掃除機を持ってきて掃除を手伝ってくださったそうです。
  


 
瓦の下には土が敷いてありました

瓦と土がなくなりました

屋根の下はこんな感じです

新しい屋根板

屋根板を張っているところ

屋根板を張り終えました

 5日、6日で古い屋根瓦を下ろし、7日~9日大工さんが軒の補修や屋根板を張り、昨日の午後からは瓦屋さんが大勢来て屋根板の上に防水シートを張っていかれました。明日からは瓦屋産が屋根瓦を載せる作業が続きます。

 屋根の上の瓦と土がなくなり、重さで下がって開かなくなっていた窓が開くようになりました。土が落ちる作業がほぼ終わったので、今日は2階の土を掃除しましたが、2階で寝るのはもう少し様子を見てからにしようと思います。

 この1週間、リビングとダイニングに布団を敷いて寝ています。パソコンとプリンターはダイニングテーブルに置いていて、食事はリビングで・・・とコンパクトに生活していまます。

 それやこれやで、やっぱり勉強できません。ダメダメや。

2019年10月27日日曜日

やっぱり勉強できない

 昨夜寝たのは午前2時。神戸に受診で行って、買い物に回り、19時過ぎに帰宅して、夕食、片付け、買い物の計算、少し勉強、新聞を読み就寝準備をしたらそんな時間になってしまいました。

 今朝は8時半に起き、夕食のおでんの仕込みをしながら洗濯機を回し、朝食を作り食べる。洗濯物を干し布団を干し掃除。昼食が終わったら少し休憩して布団を取り込み、表の植木鉢やプランターを週末から始まる屋根工事に備えて庭に移動。二階の掃除をしてちょっとお茶を飲み、近所のスーパーに行き、帰ってアイロン掛け。お風呂に入り夕食。洗い物をして新聞を読み、洗濯物を畳んで、イマココ。

 昨日も診察で先生と話したのですが、勉強本当にできません。仕事して家事をして、勉強の時間どうしたらできるんでしょう。試験を受けるから掃除はやめようとか、晩遅くまで勉強したから仕事中眠くてしんどいとか、そんな訳にいかない。

 本当は昨日今日のお休みにダイニングの食器棚の掃除をするつもりだったのですが、全然時間がありませんでした。10月中にしたかったのに・・・。

2019年10月22日火曜日

勉強ができない(>_<)


 12月に手話通訳の試験を受けます。手話通訳者全国統一試験という基礎資格の試験です。9月に受験申し込みをし、受験票も届きました。

 準備は着々と・・・と言いたいところですが、それがどうしましょう、全然勉強ができないのです。

 いろいろと言い訳はあります。先週の日曜日、無事開くことができた手話サークルの大きな行事。手話劇の台本や記念誌の編集などに追われていました。平日の晩も休日も作業をし、打ち合わせに行き、何とか形になって、当日は大勢のお客様にも喜んでもらえる大会ができました。
 私は仕事があるので、事後処理は他の実行委員のメンバーにお任せです。皆はお礼状や決算、助成金をもらったところへの報告の作成など今も作業に追われているのです。

 雨漏りが気になってきたので、思い切って屋根の葺き替えをすることにしました。工務店に依頼して見積もりを出してもらうと、予算を大幅に上回るお金が必要と分かり、不足分が貯まるまで工事を延ばすか、ローンを組むのか、どうするか悩みました。
 現に雨漏りがしている状態で何年も先延ばしにしていたら家が傷みます。そこで夫と娘から足りない分を貸してもらい、工事を始めることになりました。返済はこの先6年余かかる予定で、返済が終わったらまた積み立てをして、崩れている内壁や雨のしみる古い木枠の窓を直さなければなりません。それまでは何が何でも元気で働かねばと責任を感じています。
 来月から工事に入るので、それまでに工事車両が入る表の植栽を処分したり移動したりしなければなりません。お天気を見ながら、今日の午後にしようと考えています。

 5月から始まった毎週の手話通訳者養成講座。やっと半分を過ぎました。夏頃までは、心配したよりも体も楽でこの分なら大丈夫かと思っていたのですが、サークルの行事の準備と講座が重なり、今月は試験対策講座まで入ってきたので、さすがに「ここを無理したら仕事に行けなくなりそう!」と追い詰められてきました。
 優先順位を考えると、①仕事 ②家事 ③手話 です。試験があるのだから、何が何でも手話を優先して・・・という訳にはいきません。
 体調回復のために講座もついに初めて休み、試験直前の対策勉強会の申し込みも体調維持を考えると見送らざるを得ませんでした。

 10月になれば大掃除も少しずつ始めなければなりません。去年時間がなくてできなかったところを今年はまずやっておこうと、台所の食器棚や吊戸棚や調理台の下の掃除に取り掛かりました。一段ずつ全部出して拭き、要らないものは処分し、整理して入れ直します。狭い台所でも結構時間がかかります。

 それやこれや、差し迫ってするべきことがあり、時間も限られている中で、全然勉強ができないのです。試験は待ってくれない。もう全然受かる気がしません(・・;)

2019年10月19日土曜日

当たりました!!!


 みゆきさんのファン歴35年以上ですが、これまでファンクラブに入ったことがなく、コンサートのチケットも一般の抽選に応募してたまに当たるぐらい。来年コンサートツアーがあることを知り、思い切ってファンクラブに入会しました。そしてファンクラブの先行販売で、大阪フェスティバルホールのチケットが当たりました。

 ビギナーズラックでしょうか。

 しかも、みゆきさんの全国ツアーは今回が最後とのこと。ファンクラブに入って良かったーー。

 娘に「来る?」と聞くと、「行くー!」との返事。土曜日なので泊りがけで来ることができます。今回の抽選に外れたら、一般応募を娘と私でそれぞれして、どちらか当たれば…と話していました。フェスティバルホールは土曜日の公演がありますが、札幌会場は平日しかなく、そちらが当たっても休みが2日も取れるかどうか心配でした。

 半年以上先のコンサートですが、今から楽しみでしょうがないです。チケット代は夫が私と娘の誕生日のプレゼントとして出してくれました。感謝です。

2019年10月6日日曜日

宝塚へ

 実家の妹が仕事で10日ほど留守にするので、父親の様子を見に行って欲しいと頼まれ、一泊で宝塚へ行きました。


 金曜日の晩におかずを作って、土曜日午前中に自宅の掃除や布団干しなどを済ませ、午後から出掛けました。


 そごうが神戸阪急になって初日です。写真だけ撮りました。

 実家の冷蔵庫には、妹がいろんなおかずを作り置いていました。私と違って料理上手でまめな妹です。手早く何品も作る腕は大したものです。

 夕食を食べる間も、ずっとしゃべってる父。食事が終わると最近買った便利グッズや防災用品(百均が多い)をいろいろと取り出して見せてくれます。携帯ラジオ、懐中電灯、ヘッドランプだけでも何種類もあり、笑ってしまいました。

 父は9時過ぎにもう寝る準備をして寝床へ。私もなんだか疲れて、妹の部屋に引き上げました。今夜は妹のベッドを借りて寝ます。

 寝心地のいいベッドでしたが、暑くて何度も目が覚めました。寝返りをした拍子にベッドから落っこちそうになって危ない危ない。自宅では畳に布団で寝ているので。

 朝は父に合わせて7時から朝食にするために早起きしました。掃除もしようかと思いましたが、物がいっぱい出ているので厄介だし、あまり汚れていなかったのでパス。

 そうこうしていると父がアウトドアで使う折り畳み式のガスストーブにパーコレーターでコーヒーを淹れてくれました。

 昼食を一緒に食べて帰途に着きました。

 電車で12月に受ける手話通訳試験の勉強をしようと思っていましたが、座ると眠くなってできません。神戸阪急の北海道展も見たかったけれど、帰るのが遅くなったら後がしんどいので寄らずに帰って来ました。

 何かとバタバタしていますが、父が元気だったので良しとしますか。


2019年9月29日日曜日

神戸北野異人館

 昨日は本当は診察の後で大阪へ行く予定をしていましたが、晩に手話サークルの記念行事の打ち合わせをすることになりました。急いで行って帰れば用は済ませられるけど、せっかく大阪に行くのにとんぼ返りはもったいないので、大阪行きは延期にしました。

 それならば、神戸で少しだけ時間があります。なかなか行くことがない北野の異人館へ足を延ばすことにしました。

 まずは腹ごしらえです。前から気になっていた北野坂にあるお蕎麦屋さんへ。北野坂こばやし。

 

 十割蕎麦ですがつるっとして弾力があり、そのまま塩でいただいても美味しく、つゆも鰹が効いたくどくないお出汁です。蕎麦にうるさい次男も満足の様子でした。


 9月の終わりだというのに蒸し暑い中、坂を上って行きました。あまり時間がないので、ラインの館を見学し、北野天満神社から風見鶏の館と萌黄の館を巡るコースにしました。






 ラインの館は大規模な修理を終えて今春公開したところ。修復の様子や、震災と異人館についての展示などもありました。

 坂道を歩いていると、廃屋になった異人館がいくつもありました。受け継いで守っていくのはきっととても大変なんでしょうね。


 北野天満神社は初めて訪れました。風見鶏の館が真下に見えます。試験の合格祈願もしてきました。



 風見鶏の館も萌黄の館も今度はぜひゆっくり見学したいと思いながら帰路につきました。

2019年9月22日日曜日

やさがし

 昨日、手話サークルの資料をあたっていてどうしてもわからなかったことを確認するために、今日は我が家の押し入れから手話関係の資料を詰め込んだ段ボールを引っ張り出しました。

 古い要らない資料も多いことは分かっていますが、まとまった時間がないと整理できそうにありません。とにかく目的の資料を探しました。

 ありました、ありました。昨日は二人とも思い違いをしていたことが分かり、やっぱり正確を期するためには今日の家探しが必要でした。

 手話サークルの40年間の歴史をまとめているのです。