2026年1月1日木曜日

毒吐き(3)

築90年の古民家でグループホームをしています。利用者は70代男性一人。その方がこの古民家の持ち主です。世話人は30代男性と60代女性の2名。居室は個室で、他に共用のLDKに風呂トイレ。世話人2名は住み込みです。

女性の世話人は日中は別にパート勤務をしており、朝夕の食事の準備と洗濯(洗って干す)、夕食の準備、休日には簡単な共用部分の片付け、買い出し、平日の夕食の作り置きが主な業務です。その他の業務はもう一人の世話人がしています。

この利用者さんは身辺自立されており、認知機能も保たれていると思われますが、老人性難聴のため音声言語でのコミュニケーションがかなり取りにくくなってきました。筆談をしようとすると嫌な顔をされ、大きな声で話すと何か文句を言われているような気がするらしく、明らかにムッとした表情になります。ご飯やお風呂など、必要最低限のことはゼスチャーを交えて伝えることができますが、こちらの気持ちや考えを伝えることはほぼできません。

この利用者さんは、定年退職後1年間再任用で働いた後、自己都合退職をされ、1~2年はたまに実家に帰って独居のお母様と過ごし、お母様の認知症が進んでからは実家に軸足を移して食事の世話や通院などお母様のお世話をされていました。やがてお母様は大腿骨骨折が原因で車いす生活になり、病院から介護老人保健施設へ移り、実家の近くの特別養護老人ホームに入所することになりました。それを機に自宅に戻る選択肢もあったのですが、お母様の身の回りの日用品を施設に届けたり、毎日短時間でもお母様のそばで過ごし、手荒れのケアなどをして差し上げたいということで、実家で一人住まいを続けることを選ばれました。

その後、コロナ禍のために面会が制限されたり、体調を崩したお母様の通院に付き添ったりと、色々とありましたが、無事お母様を見送り、実家じまいをして自宅に戻り、グループホームの入居者となられました。

お母様と同居していらっしゃったときは、お母様のために3食用意し、朝起きて夜に寝る生活をしておられたと思うのですが、お母様が入院されてからは好きな時間に寝て起き、お腹が空けば何か食べるという風に自由気ままな日々を過ごすようになられたと思われます。

自宅に戻って来られた当初は、朝食の準備をして寝ていらっしゃるところを起こし、食卓についていただいていました。でも、何時に就寝されたのか分かりませんが、眠りながら朝食をとられるという始末で、同じことが夕食時にも頻繁に起きるので、3食食べていただいてきちんと栄養を摂っていただくことが大事なのか、質の良い睡眠をとっていただく方が良いのか、(本当は両方大事なのでしょうが)悩みに悩み、まずはしっかり寝ていただくことを重視することにしました。

私たち住み込みの世話人が就寝する深夜12時ごろ、利用者さんの部屋の電気は必ずついています。利用者さんはゴミ出しと庭の草取りを自らかって出てくださっているのですが、どうもゴミの日はゴミステーションに出しに行くまで起きていらっしゃって、その後就寝されているようで、私が朝食をとる時間には寝ておられます。夕食も見たいテレビがあると自室で食べるとおっしゃいます。

なまじっか夕食をリビングのこたつで一緒に召し上がると、テレビを見ながらネガティブコメントを言い続けられます。初めは気にしないように自分に言い聞かせていても、テレビの話題が変わるたびに他者に対する敬意を欠いた発言を延々と聞かされると、食事の時間自体が苦痛になってしまいます。

私は仕事で関わる方について、その方が笑って過ごすことができる居場所がありますようにと願って支援しています。我がグループホームの利用者さんにとって、ここが笑って過ごせる場所であればいい。どうしたらそういう居場所になるのだろうかと、本当に日々悩んで悩んで考えて考えているのですが、利用者さんがリビングで過ごすよりも自室にこもられて、好きな時間に寝て起きて、食べて、あるいは食べずにいらっしゃる様子を見ていると、もうどうすればいいのか分からなくなってしまうのです。 

2025年12月31日水曜日

毒吐き(2)

大みそかになると思い出すことがあります。一時、夫が義父母を呼び寄せ7人で暮らしていた時期がありました。その時の大みそかのことです。

年末に子どもたちを連れて実家に餅つきに行き、すぐに自宅に戻って大掃除をしたり、当時はおせち料理も少しは作っており、大みそかは早朝から座る暇もない忙しさでした。夕食を作る余裕がないので、お寿司の盛り合わせを買ってきました。夜中の12時に年越し蕎麦を食べるのだから、とりあえず簡単でいいかと考えたんですね。

義父母に夕食ができましたと声を掛けましたが、ダイニングに出てきたのは義父だけでした。義母は食欲がなくて食べたくないと言っているが心配しなくていいと義父が言います。とりあえず子どもたちと義父で夕食をとりました。

そして日付が変わるころに年越しそばを作り、義父母を呼びに行くと、義父が部屋で食べると運んでいきました。

元旦、お雑煮を作りあけましておめでとうございますと声を掛けましたが、またまた義父だけが出て来て、義母は調子が悪いらしいからいいと言いました。昨日からほとんど何も食べていないようなので、煮麺(にゅうめん)を作って、これなら少しでも食べられませんかと義父母の部屋に持って行きました。ところが義母は要らん要らんとそっけなく、義父がありがとうと受け取ってくれました。

あとで空になった器をキッチンに持ってきた義父が言うには、義母は素麺が嫌いで、口に入れるだけで吐き気がするようだとのこと。煮麺は気を使った義父が代わりに食べてくれたらしい。しかも、昨夜夕食を食べなかった理由は、大みそかといえばすき焼きと決まっているのに、違ったから腹が立ったからだったというのです。

大みそかにすき焼きを出さなかったことで気を悪くして、ハンガーストライキ。体調が悪いならと喉越しの良いものをと作った煮麺は吐き気がするほど嫌いな食べ物だった。知らなかったとはいえ、最悪でした。

いまだに大みそかが来ると必ず思い出す私は、実に執念深い性格です。

 

毒吐き(1)

嫌なこと、つらい事、しんどいことを残したくないと思い、ブログもお休みし、ずっと続けてきた日記も書けなくなってしまいました。
何とか今日まで生きていました。
子どもに負担をかけ、不安な思いをさせて、生き永らえています。


以下、毒吐き(1)

この数年間音信不通になってしまい申し訳ありませんでした。私は一昨年還暦を迎えましたが、厄年というものはこれほどつらく苦しいものかと思い知る経験をさせていただいています。

仕事では、経験したことのない負荷がかかる人員配置になり、初めこそ仕事で培った支援スキルを実地で試す良い機会だと前向きに受け止めていましたが、到底一人で担えるものではなかったとすぐに知ることになりました。幸か不幸か、また翌年人事異動があり、部署の人数も増えたのですが、私以外の全員当該業務が初めてというメンバーになり、一から教えながら自身の仕事もする日々。あまりにも忙しいために有給休暇すら取れませんでした。そして昨年4月の人事異動では、部署の一人が再雇用になり、勤務日数が減って全体のマンパワーは減少。その中で支援対象者はこの3年間右肩上りに増え続けています。

思い余って西宮の門戸厄神東光寺さんにお祓いに行くことまでしました。上司からは「仕事量を減らすためにはちゃんと支援をしようと思うな」と本末転倒の指導を受け、今まで業務として当たり前だった支援の一つ一つに「しなくていい」「行く必要がない」とダメ出しをされる。

さすがに諦めの悪い(粘り強い)私も、年度末で退職する方が良いのかもと頭をよぎる昨今です。この15年間、すべてのことは支援対象者から学ばせていただき、他の機関の支援員さんたちからも大切なことを教えていただきました。でも本来の支援ができないのなら、私でなくても構わないではありませんか。

そんな状況の中でうつ病が再燃してしまい、薬の力を借りて何とか働いています。それ以上に、ここ2~3年、なぜか支援対象者の帰結があまり良い形にならないことも、私のやり方が間違っているのか、私の運気の悪さが足を引っ張っているのかと、ネガティブな考えがどうしても浮かび、もし私が担当していなければもっとうまくいくのではないかと思えてならないこともあります。

後厄が明ける2026年の2月4日を無事に迎えることができれば、それ以上何も望むことはないかもしれません。

2022年10月2日日曜日

噓でしょ


 そろそろ来年の手帖やカレンダーを準備する時期です。手帳はずっと使っているカバーに合わせて同じものを毎年購入していますが、ネットでチェックするといつもの手帖が廃番になっていました。幸い表紙の色は違いますが中は同じ(と思われる)ものがありました。表紙はどうせカバーで隠れるので構いません。

 そうだ、5年日記も今年が5年目です。高橋書店の5年当用新日記、今のは2冊目(10年目)です。造りはしっかりしていて紙の質も良く万年筆で書きやすい。一日の分量も多すぎず少なすぎず、寝る前に振り返って書き留めるにちょうど良いボリュームなのです。

 今使っている物を購入した店がもうないので、どこで売ってるかしらと調べていてびっくりしました。何とこの日記帳も廃番になっていたのです。そんな、まさか。 「日記帳」で検索しても同じようなものはなさそうです。大変!どうしよう。

 昨日、5週間ぶりの診察で、長年使い続けている抗うつ剤が使えなくなったと言われました。微量の発がん性物質が含まれているために自主回収されることになったそうです。大きな副作用がなく飲み心地も把握できており私にとっては使いやすいとてもいい薬でした。

 別の薬に変えるしかないのですが、不安は大きいです。先生は同じ三環系の薬をチョイスして処方してくださいました。薬が変わる際には体調の変化もあるかもしれないので、今は予備に持っていた従来の薬を続け、来週末の3連休から新しい薬を試してみるつもりです。

 手帳も日記帳も抗うつ剤もとてもしっくりくるものだったので、これからも同じものを使い続けられると思っていたのですが、こんなことってあるんですね。

2022年9月25日日曜日

器道楽


 日中はまだ30度近くになる日もあり、陽射しにも力がありますが、朝晩はめっきり涼しくなりました。空には秋の雲が。

 先々週の夏期休暇を利用して3泊4日でおばあちゃん(夫の母)の遺品整理に行ってきました。義弟のお連れ合いと一緒にまずは衣類の仕訳と片づけから。「これ着てたよね」と言い合いながらも手は止めずに作業に没頭。福祉バザーに出せるものはよけて、ごみとして捨てるものはまとめ、他は資源回収へ持ち込みました。

 布団や毛布類が「なんでこんなにあるの?」と首をかしげるほど大量にありました。義弟が客用として2組貰ってくれて、私の妹が敷布団が欲しいとのことで4枚貰うことにしました。他は粗大ごみと資源回収へ。

 おばあちゃんは意外と捨てられない性質だったようで、以前居間で使っていたと思われる歴代のじゅうたんが2階に積まれていました。そのままだと粗大ごみになり捨てにくいので、ハサミで裁断してゴミ袋に詰めました。昨年実家の片付けをしていた時にポリカーボネイトの波板を裁断してゴミに出したのを思い出しながら作業。

 実家の片付けの時に既視感があると思ったのは、8年前の自宅のリフォームに際して家中ほぼすべてのものを選別し大量に処分したのを思い出したからなのですが、今回もまた同じような作業をしているわけで、廊下に積まれたゴミ袋までが似ています。

 物は違えど「なんでこんなものがこんなにあるの?」と思うところも同じです。おばあちゃんの場合はプラスチックの入れ物がそう。大小さまざま、百均からそうでない物まで出るわ出るわ。再利用できそうにないので処分です。

 おばあちゃんは器道楽で、岡山市の中心部の商店街、奉還町の専門店で買ったのか百貨店で買ったのか分かりませんが、いい器をたくさん持っていました。おじいちゃんも生きていた頃は大きな食器棚二つに様々な器が詰まっていました。泊りに行くと食事の支度を任されていて、どの器に盛りつけようかと楽しみだったものです。

 20年以上前に一度段ボール箱いっぱいの食器をもらったことがありましたが、その時に断捨離をして妹さんなどにも譲ったと聞きました。だから今残っているのはおばあちゃんが好きで手元に残していたものと日常使いに便利なもの。義弟のお連れ合いは何も要らないと言うので、遠慮なく好きな食器をいただいてきました。

 器好き同士で話が合ったかもしれないのに、おばあちゃんとそんな話はしたことがなかったな。「この器素敵ですね」とか「私これ好きです」とか言えば良かったなと今更ながらに。気持ちの通い合うことがない嫁姑で終わってしまいましたが、一つ共通の話題があったのかもと。本当に今更ですが。

 おばあちゃんの器は持ち帰った段ボールからまだ出せていません。この3連休も何かと忙しくて手が回りませんでした。手持ちの食器を少し整理して、おばあちゃんの食器を仲間入りさせようと思っています。


2022年9月11日日曜日

夏休みは岡山へ


 夫が2か月ぶりに自宅に帰ってきました。おばあちゃん(夫の母)の看取りのために実家に詰めていたのですが、亡くなった後は弟と相続の話をしたり手続きを始めたり、並行して実家の片付けを始め、忙しくしてます。

 夫が実家と自宅の行き来を始めてから10年ほどになります。近年は実家にいる方が長かったので、夫の荷物もずいぶん増えていました。それらを車に積んで何度かに分けて運ばねばなりません。おばあちゃんの遺品を片付ける中で、譲り受けるものもいくらかあります。今回はまず自分の荷物を運んできました。

 相続の手続きに必要な印鑑証明を取ったり、遠方の本籍地に戸籍謄本を取りに行ったりして数日を過ごし、また岡山へ戻って行きました。

 四十九日が過ぎて納骨をしたら、実家をリフォームして弟が住んでくれることになりました。そのためには片付けも手続きも急がねばなりません。弟夫婦も来てくれていますが、私も今週の後半の夏期休暇を利用して実家へ行って手伝うことにしました。

 まだしばらく暑い日が続きそうです。気が抜けない日が続きますが、何とか乗り切れますように。

2022年9月4日日曜日

おばあちゃんの旅立ち


 8月30日におばあちゃん(夫の母・97歳)が旅立ちました。2日ほど前からいつでも連絡が取れるようにと言われていて、29日の晩に危篤との知らせがあり、駆け付けた夫の見守る中、眠るように息を引き取ったそうです。

 享年98歳。大正に生まれ、昭和、平成、令和と生き抜いた生涯でした。2000年におじいちゃんが亡くなった後一人暮らしを続けてきましたが、次第に認知症が進み、10年前からは夫が同居して世話をしてきました。2018年に自宅で転んで骨折し入院。車いすになって自宅での生活が困難になり、老健を経て今の施設にお世話になりました。

 私たちが最後に会えたのは2019年のお正月。札幌の娘も大阪の長男も一緒に、家族5人で特養に面会に行きました。認知症が進んだおばあちゃんはもう誰のこともわからない様子でしたが、娘には少し反応したような気がします。程なくしてコロナ禍となり、夫でさえ面会ができなくなってしまいました。

 それでも特養では変わらぬ日常を職員のみなさんが守ってくださって、施設だよりに時折満面の笑みの写真が載りました。おばあちゃんに家族と会えないさびしさや住み慣れた家で過ごせない悲しさがあったのかどうか知ることはできませんが、自宅では味わうことのできない楽しい一瞬や生き生きとした時間があったことは間違いなく、おばあちゃんの最晩年を支えて下さった特養のみなさんには感謝してもしきれません。

 看取り介護に入ってからは特別に面会も許され、夫は毎日会いに行き、夫の弟夫婦も別れを告げることができました。介護ノートにはわずかに口にできたものについても記してあり、おばあちゃんが最後に食べられたのは夫が差し入れをしたハーゲンダッツのアイスクリームだったそうです。

 遺影は特養で行事の時に撮ってくださっていた写真を職員さんにお願いして集めていただいた中から選んだ90代後半の笑顔ですが、棺のおばあちゃんはまだしっかりしていた時分の張りのある表情に戻っていて、本当に若返って眠っているみたいで不思議でした。お骨になったおばあちゃんを4年と5か月ぶりに自宅に連れて帰りました。

 これからいろいろな片付けをしていかねばならず、急に忙しくなりました。おばあちゃんが良しとしてくれるように後始末ができたらと思います。 

2022年8月28日日曜日

秋が来た

 セミの鳴き声が聞かれなくなり、1週間ほど前から日が暮れると虫の音がにぎやかになりました。

 昨日まで蒸し暑い夏だったのに、今日はカラッと爽やかな秋の空気に変わりました。

 おばあちゃん(夫の母・97歳)は6月にがんが見つかってから特養で看取り介護を受けています。血中酸素濃度が次第に下がっているので、酸素吸入だけしています。食事もとれなくなり、水分摂取も減っています。

 施設はコロナ感染防止のため原則面会はできませんが、看取り期になって一日10分だけ居室での面会ができるようになりました。夫は実家に詰めて毎日会いに行っています。ほとんど眠っているし、目を覚ましている時声をかけてもきょとんとしているそうですが、直接会えて手を握ったりできることで目に見えない何かが交流しているのではないかと思います。

 がんが暴れている様子はなく、老衰なんだろうなと思います。

2022年8月13日土曜日

観光列車『うみやまむすび』で和田山へ


 今日は次男と和田山へ実家のお墓参りに行きました。寺前発和田山行の普通列車に乗り換えると、いつもは旧型のディーゼルカーの1両編成なのですが、キラッキラの車両が連結していました。これホンマに和田山行だよね?とちょっとドキドキ。

 運行日なども公開されていないらしい観光列車『うみやまむすび』に偶然乗車できたのです。


 
 片側の席が広い窓に向いた3人掛けになっています。豊岡の杞柳細工の展示もありました。この席に座ると、いつもなら居眠りして過ごす道中が素敵な旅に変わる不思議。ほんと楽しかったです。




 今日は不安定なお天気でいつ雨が降るか分からない予報だったので、頑張って7時前に家を出て向かいました。お墓の掃除をしている間、ずっと容赦ない夏の太陽が照り付けていて、汗が滝のように流れ熱中症になりかけました。数年前まではお盆のお墓参りは奈良の叔父夫婦が担っていました。車で移動とはいえ時間もかかるし、70代の叔父達には大変だっただろうなと思います。

 我々が撤収した後、和田山は時間10ミリほどの強い雨が降ったようです。早く行って良かった~。

2022年8月7日日曜日

姫路市美術館へ

 海の日の3連休の一日、姫路市美術館へ『野田弘志ー真理のリアリズム』展を観に行きました。野田弘志はリアリズム絵画を代表する一人で、私は新聞小説「湿原」(加賀乙彦)の挿絵(1983年~1984年)をずっと見ていて知っていました。多分その頃に雑誌か何かに載った少女の絵を切り抜いて取っていたのも野田弘志の作品だったのではと思いますが、失くしてしまって確かめることはできなせん。

 この展覧会では「湿原」の挿絵が154点、所在が分かっているすべて展示してありました。鉛筆書きのそのほとんどがとても小さな絵でした。丹念に見ていくと時間がいくらあっても足りないほどでした。

 また大きなカンヴァスに描かれた油彩の美しさにも見入りました。身を置きたいような風景。生命力を強く感じる人物や生物など。本当に閉館時間になってしまい、最後駆け足になって残念でした。



 姫路市美術館は煉瓦造りの建物が美しく、彫刻を配した前庭も広々として気持ちのいい空間です。その庭園で『庭園アートプロジェクト 中谷芙二子《霧の彫刻#47769白鷺が飛ぶ》』が開催されています。人工的に発生させた霧が風に吹かれて流れ、幻想的な風景が出現します。

 霧の彫刻は来年3月12日までの開館日に発生するとのこと、機会があればまた行ってみたいです。