ちこ的日常Ⅱ
夕映えの道を歩いていこう
2022年10月2日日曜日
噓でしょ
そろそろ来年の手帖やカレンダーを準備する時期です。手帳はずっと使っているカバーに合わせて同じものを毎年購入していますが、ネットでチェックするといつもの手帖が廃番になっていました。幸い表紙の色は違いますが中は同じ(と思われる)ものがありました。表紙はどうせカバーで隠れるので構いません。
そうだ、5年日記も今年が5年目です。高橋書店の5年当用新日記、今のは2冊目(10年目)です。造りはしっかりしていて紙の質も良く万年筆で書きやすい。一日の分量も多すぎず少なすぎず、寝る前に振り返って書き留めるにちょうど良いボリュームなのです。
今使っている物を購入した店がもうないので、どこで売ってるかしらと調べていてびっくりしました。何とこの日記帳も廃番になっていたのです。そんな、まさか。 「日記帳」で検索しても同じようなものはなさそうです。大変!どうしよう。
昨日、5週間ぶりの診察で、長年使い続けている抗うつ剤が使えなくなったと言われました。微量の発がん性物質が含まれているために自主回収されることになったそうです。大きな副作用がなく飲み心地も把握できており私にとっては使いやすいとてもいい薬でした。
別の薬に変えるしかないのですが、不安は大きいです。先生は同じ三環系の薬をチョイスして処方してくださいました。薬が変わる際には体調の変化もあるかもしれないので、今は予備に持っていた従来の薬を続け、来週末の3連休から新しい薬を試してみるつもりです。
手帳も日記帳も抗うつ剤もとてもしっくりくるものだったので、これからも同じものを使い続けられると思っていたのですが、こんなことってあるんですね。
2022年9月25日日曜日
器道楽
日中はまだ30度近くになる日もあり、陽射しにも力がありますが、朝晩はめっきり涼しくなりました。空には秋の雲が。
先々週の夏期休暇を利用して3泊4日でおばあちゃん(夫の母)の遺品整理に行ってきました。義弟のお連れ合いと一緒にまずは衣類の仕訳と片づけから。「これ着てたよね」と言い合いながらも手は止めずに作業に没頭。福祉バザーに出せるものはよけて、ごみとして捨てるものはまとめ、他は資源回収へ持ち込みました。
布団や毛布類が「なんでこんなにあるの?」と首をかしげるほど大量にありました。義弟が客用として2組貰ってくれて、私の妹が敷布団が欲しいとのことで4枚貰うことにしました。他は粗大ごみと資源回収へ。
おばあちゃんは意外と捨てられない性質だったようで、以前居間で使っていたと思われる歴代のじゅうたんが2階に積まれていました。そのままだと粗大ごみになり捨てにくいので、ハサミで裁断してゴミ袋に詰めました。昨年実家の片付けをしていた時にポリカーボネイトの波板を裁断してゴミに出したのを思い出しながら作業。
実家の片付けの時に既視感があると思ったのは、8年前の自宅のリフォームに際して家中ほぼすべてのものを選別し大量に処分したのを思い出したからなのですが、今回もまた同じような作業をしているわけで、廊下に積まれたゴミ袋までが似ています。
物は違えど「なんでこんなものがこんなにあるの?」と思うところも同じです。おばあちゃんの場合はプラスチックの入れ物がそう。大小さまざま、百均からそうでない物まで出るわ出るわ。再利用できそうにないので処分です。
おばあちゃんは器道楽で、岡山市の中心部の商店街、奉還町の専門店で買ったのか百貨店で買ったのか分かりませんが、いい器をたくさん持っていました。おじいちゃんも生きていた頃は大きな食器棚二つに様々な器が詰まっていました。泊りに行くと食事の支度を任されていて、どの器に盛りつけようかと楽しみだったものです。
20年以上前に一度段ボール箱いっぱいの食器をもらったことがありましたが、その時に断捨離をして妹さんなどにも譲ったと聞きました。だから今残っているのはおばあちゃんが好きで手元に残していたものと日常使いに便利なもの。義弟のお連れ合いは何も要らないと言うので、遠慮なく好きな食器をいただいてきました。
器好き同士で話が合ったかもしれないのに、おばあちゃんとそんな話はしたことがなかったな。「この器素敵ですね」とか「私これ好きです」とか言えば良かったなと今更ながらに。気持ちの通い合うことがない嫁姑で終わってしまいましたが、一つ共通の話題があったのかもと。本当に今更ですが。
おばあちゃんの器は持ち帰った段ボールからまだ出せていません。この3連休も何かと忙しくて手が回りませんでした。手持ちの食器を少し整理して、おばあちゃんの食器を仲間入りさせようと思っています。
2022年9月11日日曜日
夏休みは岡山へ
夫が2か月ぶりに自宅に帰ってきました。おばあちゃん(夫の母)の看取りのために実家に詰めていたのですが、亡くなった後は弟と相続の話をしたり手続きを始めたり、並行して実家の片付けを始め、忙しくしてます。
夫が実家と自宅の行き来を始めてから10年ほどになります。近年は実家にいる方が長かったので、夫の荷物もずいぶん増えていました。それらを車に積んで何度かに分けて運ばねばなりません。おばあちゃんの遺品を片付ける中で、譲り受けるものもいくらかあります。今回はまず自分の荷物を運んできました。
相続の手続きに必要な印鑑証明を取ったり、遠方の本籍地に戸籍謄本を取りに行ったりして数日を過ごし、また岡山へ戻って行きました。
四十九日が過ぎて納骨をしたら、実家をリフォームして弟が住んでくれることになりました。そのためには片付けも手続きも急がねばなりません。弟夫婦も来てくれていますが、私も今週の後半の夏期休暇を利用して実家へ行って手伝うことにしました。
まだしばらく暑い日が続きそうです。気が抜けない日が続きますが、何とか乗り切れますように。
2022年9月4日日曜日
おばあちゃんの旅立ち
8月30日におばあちゃん(夫の母・97歳)が旅立ちました。2日ほど前からいつでも連絡が取れるようにと言われていて、29日の晩に危篤との知らせがあり、駆け付けた夫の見守る中、眠るように息を引き取ったそうです。
享年98歳。大正に生まれ、昭和、平成、令和と生き抜いた生涯でした。2000年におじいちゃんが亡くなった後一人暮らしを続けてきましたが、次第に認知症が進み、10年前からは夫が同居して世話をしてきました。2018年に自宅で転んで骨折し入院。車いすになって自宅での生活が困難になり、老健を経て今の施設にお世話になりました。
私たちが最後に会えたのは2019年のお正月。札幌の娘も大阪の長男も一緒に、家族5人で特養に面会に行きました。認知症が進んだおばあちゃんはもう誰のこともわからない様子でしたが、娘には少し反応したような気がします。程なくしてコロナ禍となり、夫でさえ面会ができなくなってしまいました。
それでも特養では変わらぬ日常を職員のみなさんが守ってくださって、施設だよりに時折満面の笑みの写真が載りました。おばあちゃんに家族と会えないさびしさや住み慣れた家で過ごせない悲しさがあったのかどうか知ることはできませんが、自宅では味わうことのできない楽しい一瞬や生き生きとした時間があったことは間違いなく、おばあちゃんの最晩年を支えて下さった特養のみなさんには感謝してもしきれません。
看取り介護に入ってからは特別に面会も許され、夫は毎日会いに行き、夫の弟夫婦も別れを告げることができました。介護ノートにはわずかに口にできたものについても記してあり、おばあちゃんが最後に食べられたのは夫が差し入れをしたハーゲンダッツのアイスクリームだったそうです。
遺影は特養で行事の時に撮ってくださっていた写真を職員さんにお願いして集めていただいた中から選んだ90代後半の笑顔ですが、棺のおばあちゃんはまだしっかりしていた時分の張りのある表情に戻っていて、本当に若返って眠っているみたいで不思議でした。お骨になったおばあちゃんを4年と5か月ぶりに自宅に連れて帰りました。
これからいろいろな片付けをしていかねばならず、急に忙しくなりました。おばあちゃんが良しとしてくれるように後始末ができたらと思います。
2022年8月28日日曜日
秋が来た
セミの鳴き声が聞かれなくなり、1週間ほど前から日が暮れると虫の音がにぎやかになりました。
昨日まで蒸し暑い夏だったのに、今日はカラッと爽やかな秋の空気に変わりました。
おばあちゃん(夫の母・97歳)は6月にがんが見つかってから特養で看取り介護を受けています。血中酸素濃度が次第に下がっているので、酸素吸入だけしています。食事もとれなくなり、水分摂取も減っています。
施設はコロナ感染防止のため原則面会はできませんが、看取り期になって一日10分だけ居室での面会ができるようになりました。夫は実家に詰めて毎日会いに行っています。ほとんど眠っているし、目を覚ましている時声をかけてもきょとんとしているそうですが、直接会えて手を握ったりできることで目に見えない何かが交流しているのではないかと思います。
がんが暴れている様子はなく、老衰なんだろうなと思います。
2022年8月13日土曜日
観光列車『うみやまむすび』で和田山へ
今日は次男と和田山へ実家のお墓参りに行きました。寺前発和田山行の普通列車に乗り換えると、いつもは旧型のディーゼルカーの1両編成なのですが、キラッキラの車両が連結していました。これホンマに和田山行だよね?とちょっとドキドキ。
運行日なども公開されていないらしい観光列車『うみやまむすび』に偶然乗車できたのです。
片側の席が広い窓に向いた3人掛けになっています。豊岡の杞柳細工の展示もありました。この席に座ると、いつもなら居眠りして過ごす道中が素敵な旅に変わる不思議。ほんと楽しかったです。
今日は不安定なお天気でいつ雨が降るか分からない予報だったので、頑張って7時前に家を出て向かいました。お墓の掃除をしている間、ずっと容赦ない夏の太陽が照り付けていて、汗が滝のように流れ熱中症になりかけました。数年前まではお盆のお墓参りは奈良の叔父夫婦が担っていました。車で移動とはいえ時間もかかるし、70代の叔父達には大変だっただろうなと思います。
我々が撤収した後、和田山は時間10ミリほどの強い雨が降ったようです。早く行って良かった~。
2022年8月7日日曜日
姫路市美術館へ
海の日の3連休の一日、姫路市美術館へ『野田弘志ー真理のリアリズム』展を観に行きました。野田弘志はリアリズム絵画を代表する一人で、私は新聞小説「湿原」(加賀乙彦)の挿絵(1983年~1984年)をずっと見ていて知っていました。多分その頃に雑誌か何かに載った少女の絵を切り抜いて取っていたのも野田弘志の作品だったのではと思いますが、失くしてしまって確かめることはできなせん。
この展覧会では「湿原」の挿絵が154点、所在が分かっているすべて展示してありました。鉛筆書きのそのほとんどがとても小さな絵でした。丹念に見ていくと時間がいくらあっても足りないほどでした。
また大きなカンヴァスに描かれた油彩の美しさにも見入りました。身を置きたいような風景。生命力を強く感じる人物や生物など。本当に閉館時間になってしまい、最後駆け足になって残念でした。
姫路市美術館は煉瓦造りの建物が美しく、彫刻を配した前庭も広々として気持ちのいい空間です。その庭園で『庭園アートプロジェクト 中谷芙二子《霧の彫刻#47769白鷺が飛ぶ》』が開催されています。人工的に発生させた霧が風に吹かれて流れ、幻想的な風景が出現します。
霧の彫刻は来年3月12日までの開館日に発生するとのこと、機会があればまた行ってみたいです。
クマゼミ大合唱
去年と一昨年、我が家の庭ではセミの鳴き声がほとんど聞かれませんでした。思い当たるのは数年前にリフォームをしたことぐらい。庭は別にさわっていないけれど、何かセミの産卵を妨げるような要因があったのかなぁ・・・と話していました。正直、毎朝ギャンギャン鳴くクマゼミの声は相当うるさくて、それが聞こえなくてヤレヤレという反面、セミに嫌われたようで寂しくもありました。
それなのに、今年はまた遠慮なしにクマゼミが大合唱しています。時計が分かるのかと思うほど毎朝決まった時間に鳴き始めます。窓を開けているとキッチンタイマーの音や体温計の音など全く聞こえません。
私が子どもの頃、セミと言えばミンミンゼミやツクツクホウシやニイニイゼミでした。夕方にはカナカナが鳴いて涼を感じたものです。田舎のおばあちゃん家で叔父さんとセミ捕りをした時、めったにいないクマゼミが鳴くと叔父さんは目の色を変えて張り切り、見事捕まえて見せてくれたものです。それくらい珍しかったし、ほかのセミより大きなクマゼミはセミの王様のようでした。
それなのに今や都会でも田舎でもクマゼミばかりがうるさく鳴き、他のセミは一体どこへ行ってしまったのやら。
ヤモヤモ
台所の窓にヤモリが住み着いています。しかも3匹も。勝手口に外灯がついているので小さな虫が集まってくるのでしょう。ヤモさん入れ食い状態です。
窓の内側から観察すると、吸盤のついた小さな手足やひくひくするお腹が可愛いです。朝勝手口を開けると、扉の上にいたと思われるヤモリがたまに頭の上に落ちてきます。それ以外は日中どこにいるのか分かりません。
庭ではよくカナヘビを見かけます。チョロチョロッと石の上や時にはウッドデッキを走っています。カナヘビはつぶらな目が何とも言えず可愛い。自然豊かな住まいです。
3年ぶりの花火大会
コロナ禍で昨年一昨年と開催されなかった花火大会が今年はありました。例年ならステージで関連イベントが行われるなど華やかな一夜なのですが、今年は一切なしで、感染拡大防止のため遠くからでも見られるよう打ち上げ花火のみのプログラムでした。
いつもの河原でレジャーシートを敷いて観覧。3年ぶりなのでいつもより大勢の人が見に来ているような気がしました。アナウンスなども特になくただ次々と花火が上がるのは独特の雰囲気でした。
昨年一昨年とシークレット花火が何度かあり、たまたま見ることができた時は嬉しかったです。来年こそは憂いなく花火を楽しめるといいですね。
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